越前大野藩家老・内山家の武家屋敷と庭園――苔の美しい隠れた名園と、国登録有形文化財建築。
武家屋敷旧内山家について
「武家屋敷 旧内山家」(ぶけやしき きゅううちやまけ)は越前大野藩の城下町に残る武家屋敷。明治時代〜大正時代に建てられた主屋、離れ、味噌蔵、衣装蔵、米蔵、門…といった建造物が国登録有形文化財となっています。
最近は“天空の城”としても人気のある越前大野城。尾張・美濃から領地を拡大した織田信長の命で部下・金森長近が築いたもので、現在の天守閣は昭和時代に再建されたものですが、続日本100名城にも選定されています。今回自分も初めて訪れたのですが、結構他県ナンバーが止まっていてビックリ!
江戸時代以後の城主は福井藩主・結城秀康(徳川家康の子)の後継・松平直政や、大老・土井利勝の土井家から多くが城主を務めました。こうして作り上げられた越前大野の城下町は“福井の小京都”“北陸の小京都”とも称されます。
「旧内山家」は幕末に大野藩の財政再建に尽力した家老・内山七郎右衛門良休と隆佐良隆の兄弟を輩出した内山家の屋敷。江戸時代末期の天保年間、大野藩主・土井利忠は藩財政を立て直すため、「更始の令」と呼ばれる改革令を出しました。内山良休・良隆兄弟はこの藩政改革に尽力。2人のとった施策は藩営商店「大野屋」の開設、銅山経営、蝦夷地開拓の推進、洋式帆船「大野丸」の建造、蘭学の振興…など。正に藩の多角経営。これらが功を奏し多額の借金に苦しんでいた藩財政は立ち直り、2人は家老職に登用(良隆は辞退)。
現在残る「旧内山家」は2人が活躍した後年に建築されたもので、現在は市の所有となり、2人の偉業を偲んで平成の初めに保存のために江戸時代に武家屋敷の立ち並んだ場所で解体・復元――…一度解体されたってことは移築されて現在地に来たのかな…?と思って調べているのですが移築されたという情報は無し。建物の状態を確認も含めて元の場所で解体・復元されたということかな?
正直、内山家の庭園は期待してた以上に素晴らしくって!元々この庭園の存在を知って足を運んだわけではなく――まあ武家屋敷なら大なり小なり何らかの庭園はあるんじゃないかなーぐらいの気持ちで足を運んだので、こんなに素晴らしいお屋敷と庭園が見られるとは思っていなかった!
平成5年の屋敷復元図にも庭園は描かれているのですが、これが整備時に作庭されたものなのか、屋敷と同時期(明治・大正)に作庭されたものなのかは不明――雰囲気的には屋敷と同じ明治時代頃のものなのかなあと思うけど、施設の方にお聞きしても「庭園はわからない」と言っていたので確証は無し。
数寄屋風書院建築の離れの座敷から眺める庭園は新潟の国名勝庭園『渡辺氏庭園』を思い出す。築山や枯池、そして石組に苔が群生して緑がとても美しい!やっぱ北陸の内陸は苔が出来やすいのかなあ――4月・5月、9月・10月の週末の午後にはこの庭園を眺めながらお茶をいただくこともできるそう。
いつか「旧内山家庭園」としても評価されて詳しい情報知りたい!と思える、福井の隠れた名庭園。
(2019年3月訪問。以下の情報は訪問時の情報です。最新の情報は各種公式サイトをご確認ください。)
アクセス・住所 / Locations
JR越美北線 越前大野駅より徒歩約15分(駅にレンタサイクルあり)
越前大野駅から観光回遊バス「結ステーション」バス停下車すぐ
福井駅・勝山駅からの都市間路線バス「大野六間」バス停下車 徒歩5分
〒912-0087 福井県大野市城町10-7 MAP