“東禅寺事件”の舞台であり、伊達家はじめ多くの大名の菩提寺に残る、完全非公開の池泉式庭園。国指定史跡。
東禅寺庭園について
【庭園は非公開】
「東禅寺」(とうぜんじ)は品川駅や高輪プリンスホテルの程近くにある国指定史跡の寺院。以前このエリアを地図アプリ見ながら散歩していた時、このお寺の境内にある池泉が気になって――。お寺の案内板などによれば、江戸時代から残る池泉回遊式庭園があるようです。但し電話等でお聞きした所、完全に非公開とのこと(実際ネットで検索しても庭園の写真はほぼ出てこない)。
2019年3月にまた近くを通り掛かったので本堂の前まで行ってみたら、庭園とかつて公使館員の宿所となっていた「僊源亭」の貴重な写真が掲示されていた…!のでその共有を含めアップします。
東禅寺は江戸時代初期の創建。重要伝統的建造物群保存地区の古い町並みで知られる城下町、日向国・飫肥藩主の伊東祐慶により最初は現在の港区赤坂に建立(飫肥の庭園はこちら!)。その後現在地に移転。昔は東京湾が眼前に見られたことから“海上禅林”と呼ばれたそうで、現在も本堂にその名が書かれた扁額が飾られていました。
東禅寺が国指定史跡となっている理由と推測されるのが、
●幕末の開国後、最初に英国大使館(イギリス公使館)が置かれた場所であること(当初は公使ラザフォード・オールコックが駐在)
●それゆえ、尊王攘夷派の浪士・志士によって2度に渡ってイギリス公使、水兵が襲撃された「東禅寺事件」の舞台となったこと
の2点。後述のように庭園以外にも大名の墓所などもあるのですがそれも非公開というのは、そういった歴史的背景もあるのかなあ…。なお玄関・奥書院は当時から残るとのことなので、関東大震災や東京大空襲の被害を避けて現代に残っているとしたら大変貴重であることに間違いない。
なお創建に関わった飫肥藩・伊東家のほか、仙台藩主&宇和島藩主・伊達家、岡山藩主・池田家、豊後臼杵藩・稲葉家…などなど多くの大名の江戸の菩提寺となっています。名前を挙げた4家は各地に庭園を観に行った(地元に名園を残されている)大名たち。そんな武将たちの菩提寺なのだから素晴らしい庭園があったことも頷ける。
ちなみに港区ホームページの『わき水の出る場所をしらべよう』の情報によると、東禅寺庭園の池泉は自然の湧水によるもののようです(確かに台地、坂の下にある)。いつか見てみたいなあ。
(2019年3月訪問。以下の情報は訪問時の情報です。最新の情報は各種公式サイトをご確認ください。)