久留米藩初代藩主・有馬豊氏が創建した寺院に、地元出身の名建築家・菊竹清訓が昭和後期に手掛けた寺院建築。
徳雲寺について
「円明山 徳雲寺」(とくうんじ)は久留米藩初代藩主・有馬豊氏により1623年(元和9年)に創建された寺院。久留米の特産品(織物)“久留米絣”の創始者・井上伝の墓所も残る歴史のある寺院ですが、その本堂は昭和を代表する建築家のひとり、菊竹清訓により手掛けられたもの。
以前お隣の『遍照院庭園』に訪れた際に「かっこいい本堂だなあ」と思っていたけど、後から菊竹清訓設計と知り!マジか、そうだったのか…。ということで2020年冬に西鉄久留米に訪れた際に遍照院とともに訪れました。
黒川紀章らとともに“メタボリズム”を提唱し、モダニズム建築を牽引したひとり・菊竹清訓は久留米市出身。池泉回遊式庭園のある『石橋美術館(現・久留米市美術館)』も氏の手掛けた建築。
この白亜の屋根が特徴的な本堂は1978年(昭和53年)に建立。なお、この本堂の裏手にある『徳雲寺納骨堂』もそれ以前の1965年に手掛けた菊竹建築であり、それも名作とされている(評価されている)みたい。ですが、『これより先は檀家以外立入禁止』の看板があったので、今回は遠くから眺めるだけに留めた…いつか縁あれば改めて見に訪れたいもの。検索すると過去に訪れた方の写真は見れます(逆にあまり本堂にはフォーカスされていない)。
お寺としても由緒あり、開山の回厳玄登和尚は、甲斐国(現・山梨県甲州市)の国指定名勝庭園のある『恵林寺』の住職を務め武田信玄とも関係の深かった快川紹喜和尚の高弟。
江戸時代中期の1754年(宝暦4年)、久留米藩で新たに課された新税“人別銀”への反発で起こった農民一揆“久留米大一揆”の際には当時の虎堂和尚が久留米藩7代目藩主・有馬頼徸に対して新税反対の上申をしたそう。
久留米の寺町はさほど観光化されていない(そもそも久留米があまり観光化されていない…?)けれど、歴史ある人物が関わっていたり、眠っていたりすることに訪れるたびに気づく。また次回久留米へ行く時も立ち寄りたい。
(2020年2月訪問。以下の情報は訪問時の情報です。最新の情報は各種公式サイトをご確認ください。)