夢窓疎石が『永保寺』に次いで創建した寺院で、疎石作庭と伝わる南北朝時代の心字池庭園は富加町指定名勝。
東香寺庭園について
【拝観は要予約】
「東香寺」(とうこうじ)は鎌倉時代の1315年に夢窓国師(夢窓疎石)により開山された寺院。本堂裏にある池泉鑑賞式庭園の“心字池庭園”は世界遺産の『天龍寺庭園』『西芳寺庭園』などを手掛けている夢窓疎石本人による作庭と伝わります。富加町指定名勝。
(´-`).。oO(…秋は紅葉重視の更新をしてましたが、ぼちぼち季節も終わるので…あまり写真映えはしないけど、記事の仮登録自体はだいぶ前にしてた庭園を紹介。天龍寺の塔頭の紹介をして、さて次は夏に訪れた曹源池庭園も…という流れの前に、これは多分だいぶマニアックな伝・夢窓疎石の庭園。富加町については別の庭園紹介の時に。)
この庭園を知ったきっかけは…2019年夏に『真長寺の石庭』や『慈恩禅寺庭園』など岐阜県内の“市町村の指定名勝”を訪れたのですが、これもそれらを調べる過程で知った庭園――でもあり、『正眼寺』を初めて訪れた後にGoogleマップを眺めてて「なんか庭園っぽいものがあるなあ」というので気になってた庭園でもある。
にしても、夢窓疎石!?疎石が岐阜で『永保寺庭園』以外の庭園を残していたとは知らなかった。情報も少なかったので夏に訪れるのを楽しみにしていた庭園でした。お寺さんのご都合もあるので拝観は要電話予約。
東香寺は『永保寺』を法弟・仏徳禅師に譲った夢窓疎石が京都に向かう途中、この地に立ち寄った際に隠栖の地として創建。開基は美濃国守護・土岐頼遠。山号の「老梅山」はこのお寺の裏山の名前で、その山頂には夢窓疎石の座禅石と伝わる岩が残るとか。またそれに沿うように立つ大松は“国師袈裟掛けの松”という名で現代まで伝わるそう(なお真夏だったので登ってません…)。また境内にある老梅は山号にあわせて疎石が手植えしたもの…とも。
疎石が去ったのち一時は火災により伽藍は焼失。江戸時代に入り、妙心寺153世住持・雲居禅師の法弟・金峰祖牛禅師の1671年の初夢に疎石が現れ、『美濃の私の創建したお寺が荒廃したままになってる。再興して欲しい』と告げられたことで東香寺は再興に至りました。現在は臨済宗妙心寺派の寺院。境内に残る宝篋印塔、無縫塔は鎌倉〜南北朝時代のものとされ、岐阜県指定重要文化財。
そしてこの庭園は南北朝時代に夢窓疎石が再度この地を訪れた際に作庭されたものとされます。印象的な立石が多く見られる石組が特徴で、庭園の水源である“揚子泉”は疎石が岩壁を掘られたという湧水。サツキ・ツツジが多く植わっているところは…江戸時代の中興のタイミングで多少作り変えられているんだろうなーと思うし、それによって石が隠れている面もあるけれど。その辺の経緯は滋賀・長浜にある伝夢窓疎石の『安楽寺庭園』と近しいものを感じる。
伝承の多くが寺伝だから町の名勝に留まっているのかな…と思いますが、それでもこの町にここまで夢窓疎石の情報に溢れたお寺さんがあるとは!とても興味深く話を伺わせていただいた。またこのお寺の開基である土岐頼遠は夢窓疎石に深く帰依し、このお寺以外にも美濃国にいくつか夢窓国師を開山とした寺院を創建したそう。調べてみよう!
(2019年8月訪問。以下の情報は訪問時の情報です。最新の情報は各種公式サイトをご確認ください。)
アクセス・住所 / Locations
関駅(関シティターミナル)より路線バス「小牧口」バス停下車 徒歩12分
最寄駅は長良川鉄道 富加駅(約4km、徒歩50分)
〒501-3307 岐阜県加茂郡富加町大平賀1335 MAP