桐岳寺庭園

Tokakuji Temple Garden, Matsue, Shimane

“ばけばけ”の舞台・松江の隠れた紅葉の名所庭園。松江藩主・堀尾氏ゆかりの寺院に松江城御用庭師が作庭、先代住職が改修した苔の美しいお庭。【要事前連絡】

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桐岳寺庭園について

【要事前電話連絡】
「龍渕山 桐岳寺」(とうかくじ)は島根県松江市の国宝『松江城』の北方に位置する曹洞宗の寺院。松江藩主・堀尾氏ゆかりの寺院で、本堂・書院の奥に《お城の御用庭師の作庭》と伝わるお庭を昭和〜平成年代に改修した苔と紅葉の美しい庭園があります。
※観光寺院ではありませんが、都合が合えば庭園の拝観が可能。希望者は事前にお電話にて問い合わせを。

国宝『松江城』の北側のお堀(北堀)に沿って長屋門や土塀が立ち並ぶ(旧)武家屋敷通り「塩見縄手」。大名・堀尾吉晴により松江城の築城とあわせて整備されたエリアで、現在では松江市伝統美観保存地区および現・国交省の選定した“日本の道100選”にも選ばれています。2025年秋〜のNHK朝ドラ『ばけばけ』の舞台となる『小泉八雲旧居』も。

そんな小泉八雲旧居&記念館から徒歩5分ほど、でも観光エリアからは少し外れているので普通の観光客は訪れないかもしれない…?禅寺『桐岳寺』。松江市の緑地保全区域にも指定されている天然林を背後に持ち、厳かな雰囲気を残す寺院の美しい庭園をここで紹介。

その歴史について。創建は江戸時代初めの1610年(慶長15年)。初代松江藩主・堀尾忠氏の子で二代藩主・堀尾忠晴の弟、堀尾吉晴の孫にあたる小次郎がその前年に夭折(早死に)され、その菩提を弔う為に母(忠氏の正室)・長松院(豊臣家の五奉行・前田玄以の娘)により建立。当初は松江城の前の居城『月山富田城』城下にありましたが、松江城築城に伴って1613年に現在地に移転しました。

当時は“松江三ヶ寺”にも数えられた名刹。江戸時代の大火の影響もあって?先の緑地保全区域以外の文化財指定はされていないものの、小次郎の守本尊(持仏?)だった聖観音菩薩は平安時代の名僧・慈覚大師円仁の作と伝わります。
また羅漢堂の五百羅漢像も圧巻!江戸時代に活躍した松江藩士(藩主の御用医・久城春台翁、松江藩家老・小田切備中半三郎尚足)や近代の漢学者・瀧川資言(滝川亀太郎)の墓所も。

本堂・書院の奥に庭園が広がります。お堂の奥にこんなスケールの大きなお庭が隠されているなんて…!と驚くスケールの大きな庭園。
左手側(本堂の奥)には大きな心字池に石橋の架かる池泉鑑賞式庭園。右手側(書院の奥)には一面の苔の中に飛び石が配され、大刈込みの迫力のある茶庭風の庭園。よくお手入れされたクロマツは樹齢300年とも言われ、当初の山号「龍虎山」にちなんでクロマツを龍に、斜面のサツキの大刈込みは虎を見立てて表現しているとか。

現在の庭園の姿は先代のご住職が昭和・平成年代に大幅に改修されたものだそうですが、元となる庭園は《約300年前、お城の御用庭師による作庭》。現在の本堂が1758年(宝暦8年)の再建とのことなので、それと近い時期に作られたと推測できます。

古い写真を見せていただいた限り改修前は苔ではなく白砂が主体のいわゆる「出雲流庭園」的な雰囲気。そこからだいぶ変わってはいるもの――今の庭園は今の庭園でとても美しい!そして見比べて変わっていない点もある。先述の龍と虎に見立てた植栽や書院から少し離れた位置にポツンとある手水鉢、その奥の石灯籠などなど。山の上にある鎮守堂も良いアイキャッチに。

そして。モミジは元から多かったようで、積極的に公開されている庭園ではないものの紅葉の時期には絶景なのだそう!お近くの方はぜひその時期にご連絡の上訪れてみて。

(2025年9月訪問。以下の情報は訪問時の情報です。最新の情報は各種公式サイトをご確認ください。)

アクセス・住所 / Locations

JR山陰本線 松江駅より約3km(観光案内所にレンタサイクルあり)
JR松江駅より路線バス「春日南」「石橋三丁目」バス停下車 徒歩10分

〒690-0872 島根県松江市奥谷町279 MAP

投稿者プロフィール

イトウマサトシ
イトウマサトシ
Instagram約9万フォロワーの日本庭園メディア『おにわさん』中の人。これまで足を運んで紹介した庭園の数は2,000以上。執筆・お仕事のご依頼も受け付けています!ご連絡はSNSのDMよりお願いいたします。
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