等持院庭園

Toji-in Temple Garden, Kyoto

足利尊氏が創建した室町幕府・足利将軍家の菩提寺に残る、足利義政好みの茶室や夢窓疎石作庭の回遊式庭園。

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等持院庭園について

「等持院」(とうじいん)は室町幕府初代将軍・足利尊氏により創建された寺院で、足利将軍家の菩提寺。開山として招かれた夢窓疎石の作庭と伝わる池泉回遊式庭園は近年京都市指定名勝になりました。立命館大学のすぐ近く。
2017年以降境内の改修/修復工事が順次行われましたが、2020年7月に完了。9月に約4年ぶりに訪れました!茶室“清漣亭”もきれいになったけど、方丈南庭の石庭が石の配置はそのままに見違えている。

その歴史は南北朝時代の1341年。足利尊氏が世界遺産『天龍寺』から夢窓国師を迎え現在地に創建。洛中にあった「等持寺」と合併し現在の寺名となったのは尊氏の死後。
その後の足利将軍家の菩提寺となり、「霊光殿」では夢窓国師とともに歴代の足利将軍(5代目・義量と14代目・義栄を除く)の木像が安置されております。あと徳川家康の像も。

応仁の乱や足利将軍家の衰退とともに、室町時代後期〜戦国時代にかけては荒廃したものの、桃山時代〜江戸時代初期に豊臣秀頼により再建。
江戸時代後期に再度焼失があり、現在の伽藍は江戸時代後期の文政年間(1818〜1830年)に整えられたもの。そのうち方丈(本堂)は1616年に福島正則が妙心寺の塔頭『海福院』に建立し、それを移築したもの。

庭園は大きく分けて3箇所。きれいになった方丈南庭(枯山水庭園)と、本堂及び書院から眺められる方丈西庭(芙蓉池)、そして夢窓疎石の作庭とされるのは方丈東庭(心字池)。
なお京都市の文化財指定の文章だとその池泉庭園は“江戸時代中期の作”とされており、実際室町時代の荒廃期や江戸時代の火災・移築などを経ているうちに次々と改修されていったというのが正しい歴史なのかもですが、ここではパンフレットや公式サイトで書かれている“室町時代”の作庭として紹介します。

まず方丈と書院から眺められる芙蓉池。築山上にある茶室“清漣亭”は足利尊氏の百年忌だった1457年に新築されたもので、同時代の将軍、八代目将軍・足利義政好みとされます。で、その段階にはすでにこの庭園は存在しており(仮に原型は留めていないとしても)、その後江戸時代の絵図には現在のものに近い庭園が描かれているそう。来年は6月初旬のサツキの盛りの頃にぜひ訪れたい。

そして夢窓疎石作庭と伝わる“心字池”はその名の通り心の字を描いた池泉を中心とした回遊式庭園。芙蓉池のような刈り込みは少なく、平べったい島によって鶴や亀が表現されている点は、確かにまた違う時代の庭園という雰囲気で『南禅院庭園』『西芳寺庭園』と類似点が感じられるかと。

いずれもかつては衣笠山を借景とした庭園だったそうですが、現在はすぐ裏に立命館大学の現代的な建物があるため、それの目隠しのために背後の樹木も高く整えられているのだとか。景観が移ろうのは仕方ないことだと思うので。その中で、そのような“樹木を整えること”で空間の雰囲気を作っている、素晴らしい庭園です。

(2014年7月、2016年2月、2020年9月訪問。以下の情報は訪問時の情報です。最新の情報は各種公式サイトをご確認ください。)

アクセス・住所 / Locations

嵐電北野線 等持院・立命館大学衣笠キャンパス前駅より徒歩5分
JR嵯峨野線 花園駅・円町駅より徒歩25分
最寄りバス停は「等持院南町」「等持院東町」下車 徒歩10分

〒603-8346 京都府京都市北区等持院北町63 MAP

投稿者プロフィール

イトウマサトシ
イトウマサトシ
Instagram約9万フォロワーの日本庭園メディア『おにわさん』中の人。これまで足を運んで紹介した庭園の数は2,000以上。執筆・お仕事のご依頼も受け付けています!ご連絡はSNSのDMよりお願いいたします。
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