芬陀院(雪舟寺)庭園

Fundain Temple Garden (Sesshu-ji), Kyoto

室町時代の水墨画家・雪舟が作庭の枯山水庭園“鶴亀の庭”が残る“雪舟寺”。昭和時代の京都の名作庭家・重森三玲の庭や関白・一条恵観ゆかりの茶室も。

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東福寺 芬陀院(雪舟寺)庭園について

「芬陀院」(ふんだいん)は京都を代表する寺院の一つ『東福寺』の塔頭寺院の一つで、水墨画家として有名な禅僧・雪舟等楊が作庭した庭園が伝わり「雪舟寺」(せっしゅうでら)の愛称でも知られます。その庭園と共に昭和の京都の人気作庭家・重森三玲による苔庭も。
2025年、久々に拝観した際の写真を追加して更新。

本山『東福寺』の現代の正面入口となっている日下門からすぐの場所に位置する芬陀院。その歴史について。鎌倉時代後期の元享年間(1321年~1324年)、当時の関白・一条内経(またはその息子・一条経通)により創建。それ以後、五摂家「一条家」の菩提寺となっています。
江戸時代に二度の火災で伽藍を焼失。現在のお堂と唐門は江戸時代中期、桃園天皇の皇后・恭礼門院より御所内の旧殿を賜り移築されたという由緒を持ちます。

室町時代にこのお寺にたびたび訪れたと言われるのが、雪舟等楊禅師。お堂(方丈)の南側に広がる枯山水庭園「鶴亀の庭」は雪舟の作庭と伝わります。水墨画家として有名な雪舟。作庭家としても“雪舟四大庭園”と呼ばれる名庭園を九州北部~西日本に残していますが、京都で唯一「作庭者」として名を残す貴重な庭園がこちら。京都の枯山水庭園としては最古の庭園の一つ…とも。

この庭園に残る逸話が一つ。当時の一条家当主で摂政/関白/太政大臣を歴任した一条兼良により「亀」の作画の依頼を受けた雪舟。しかし雪舟はなかなか筆を取らない――ある日、雪舟は庭に出て石を動かし始めます。そうして雪舟は絵ではなく石組で「亀」を作り上げました。
更にその晩。その亀島が生きた亀の様に手足を動かし庭を這っていた――そこに雪舟がもう一石、亀の甲に置いた所で動きが止まり、現在の亀島が完成した――そんな伝承が残ります。この出来事の後、雪舟は絵画を更に学ぶ為に明へと渡ります。…その時系列が本当ならば、この庭園は先の雪舟庭園より前の初期作品ということにもなる。

もっとも史料は江戸時代に焼失したため残らないそうですが、その小ぶりな石組の雰囲気は島根県の『小川家雪舟庭園』等とどこか雰囲気が似ている。(また茶祖・村田珠光による『大徳寺 真珠院』、『一休寺 虎丘庵』のお庭とも雰囲気が似ている)

なお、現在の姿は昭和時代に重森三玲により復元整備されたもので、方丈の東側(鶴亀の庭の左手側)にあるお庭は氏が「鶴亀の庭」の対となるように作庭されたお庭――独特の主張が強い立石組が代名詞と言える氏の庭園の中では、主張控え気味の小ぶりな石組が特徴的!

その東庭の奥に位置する、円窓が特徴的なお茶室が「図南亭」。江戸時代初期の一条家当主で“茶関白”と称された一条恵観が好んだというお茶室で、現在の建築は昭和年代の再建ですが、扁額は石川丈山の筆、露地には恵観の残した手水鉢も。なお一条恵観ゆかりの重要文化財建築として鎌倉の『一条恵観山荘』があります。

「作庭家」として、庭園ファン以外にも最も名前が知られた存在は、おそらく雪舟――この庭園を気に入った方は、ぜひ明から帰国後より世界観が研ぎ澄まされた山陰・山口・九州の雪舟庭園にも足を運んでみて!

(2012年1月、2015年3月、2018年11月、2025年3月訪問。以下の情報は訪問時の情報です。最新の情報は各種公式サイトをご確認ください。)

アクセス・住所 / Locations

JR奈良線・京阪本線 東福寺駅より徒歩9分
京阪本線 鳥羽街道駅より徒歩8分(開かずの踏切あるので非推奨)

〒605-0981 京都府京都市東山区本町15丁目803 MAP

投稿者プロフィール

イトウマサトシ
イトウマサトシ
Instagram約9万フォロワーの日本庭園メディア『おにわさん』中の人。これまで足を運んで紹介した庭園の数は2,000以上。執筆・お仕事のご依頼も受け付けています!ご連絡はSNSのDMよりお願いいたします。
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