等々力渓谷公園 日本庭園

Todoroki Valley Park Japanese Garden, Setagaya-ku, Tokyo

現代の日本庭園に受継がれる“雑木の庭”の祖で、昭和の東京を代表する造園家・飯田十基の現存作品として貴重な庭園。渓谷は東京都指定文化財(東京都指定名勝)。

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等々力渓谷公園 日本庭園について

「等々力渓谷」(とどろきけいこく)は東京23区内唯一の渓谷。鬱蒼とした武蔵野台地の自然の姿を残し、『等々力不動尊』(明王寺)の境内を含むその一帯が東京都指定文化財(東京都指定名勝)。その一部が世田谷区立の都市公園『等々力渓谷公園』(とどろきけいこくこうえん)となっており、園内南部には昭和の東京を代表する造園家の一人・飯田十基が作庭した日本庭園があります。
2022年5月に約4年半ぶりに訪れた際の写真を追加。

大昔に武蔵野台地の南端を現在渓谷の中を流れる“谷沢川”の流れにより侵食して形成された等々力渓谷。
現代の開発の波から逃れた長さ約1kmの渓谷内には、ケヤキ/シラカシ/コナラ/ヤマザクラ/楓類などからなる貴重な自然風景を残し、古墳時代末期〜奈良時代の頃の横穴古墳「等々力渓谷三号横穴」(こちらも東京都指定文化財史跡)、平安時代末期に興教大師の創建と伝わる等々力不動尊こと『瀧轟山 明王院』、不動尊がこの地に創建されたきっかけでもある「不動の滝」などの古い史跡が点在します。渓谷内の湧水は「」にも選定。

公園としての整備が進んだのは昭和時代の初期〜中期。1933年(昭和8年)に多摩川風致地区に指定、1936年(昭和11年)に現在見られる川沿いの遊歩道が竣工。1957年(昭和32年)に東京都に風致公園として都市計画決定され、1974年(昭和49年)に世田谷区立等々力渓谷公園として開園。また赤色の「ゴルフ橋」は『五島美術館』で知られる五島慶太が率いる目黒蒲田電鉄(現・東急電鉄)が開発したゴルフ場へ至る橋だったのがその名の由来。

公園南部にある「日本庭園」について。公園の開園にあわせて1973年(昭和48年)に作庭された回遊式庭園で、現代の日本庭園の人気のスタイルの庭”の創始者・の作品としては現存する数少ない貴重な庭園。

お屋敷のような門をくぐった後は竹林〜自然の斜面を活かした池泉庭園〜石段・石積〜公園の上部に辿り着くと1961年(昭和36年)に建築された「書院」(休憩所)とその周辺の露地風の庭園、そして芝生広場があります。高台にある芝生広場からの眺めも◎!

パンフレットに建築についての説明はないのだけれど、庭園と年代も違うから元は個人邸の一部で芝生広場にはお屋敷とかがあったのかな。銅板葺の和風建築がこの近隣で『五島美術館』や『満願寺』を手掛けている吉田五十八的なスタイルを感じさせる(日本庭園への入り口の門も)。
頭上のモミジが秋には一面の紅葉になるはず!いつかそんな季節に訪れたい庭園。

(2017年11月、2022年5月訪問。以下の情報は訪問時の情報です。最新の情報は各種公式サイトをご確認ください。)

アクセス・住所 / Locations

東急大井町線 等々力駅より徒歩10分
千歳船橋駅・田園調布駅より路線バス「野毛公園前」バス停下車 徒歩5分

〒158-0092 東京都世田谷区野毛1丁目15-15 MAP

投稿者プロフィール

イトウマサトシ
イトウマサトシ
Instagram約9万フォロワーの日本庭園メディア『おにわさん』中の人。これまで足を運んで紹介した庭園の数は1,900以上。執筆・お仕事のご依頼も受け付けています!ご連絡はSNSのDMよりお願いいたします。
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