
2022年から民泊施設として活用も始まった国登録文化財庭園…明治時代の茅葺古民家から眺める、津軽/弘前の庭園流派“大石武学流”の庭師・池田亭月も関わった庭園。
丹鶴庵(丹藤氏庭園)について
【民泊施設利用者向け】
「丹鶴庵」(たんかくあん)は青森県弘前市の郊外、“津軽富士”岩木山の麓の「葛原」地区にある古民家・民泊施設。その庭園が「丹藤氏庭園(旧三上氏庭園)」(たんとうしていえん・きゅうみかみしていえん)の名で国の登録記念物(名勝地関係)となっています。津軽/弘前地方に伝わる庭園流派「大石武学流庭園」の庭師・池田亭月が作庭(改修)。
レトロな洋館や巨匠・前川國男の作品など“弘前建築遺産”が近年盛り上がる弘前。建築と切っても切れないものと言えば“庭”。弘前には国指定文化財/国登録文化財の庭園が計7箇所もある“歴史的庭園が全国的に見て多い街”でもあります!(京都市・東京23区は別格としても、大津市に次ぎ奈良市などに並ぶ規模)
その中でも比較的最近(2019年)国の文化財に登録された庭園が「丹藤氏庭園」。個人邸の庭園なので見る機会が限られる――と思っていたのですが、その古民家が2022年より民泊施設『丹鶴庵』として運営がスタート。また、お食事会やゼミの合宿などイベントでの利用も可能。施設の詳細は公式HPをご覧ください!
「大石武学流」について。津軽藩・弘前城下を中心に江戸時代後期〜明治・大正時代に広まった独自の作庭のスタイル。その祖として名前が上がるのは京都から弘前藩に招かれた茶人・野本道玄とも言われ、この野本道玄は弘前市内には『貞昌寺庭園』(青森県指定名勝)を残します。(※その他、京都から流された公家・花山院忠長が伝えた説も)
そんな「大石武学流」の五代目・池田亭月が1933年(昭和8年)に“新築”(改修?)したのがこの庭園(元となる庭園は1882年(明治15年)作庭)。
丹鶴庵が位置するのは弘前駅から約10km、弘前城から約7km離れた「葛原」という集落。距離で言えば大石武学流の代表的な庭園『瑞楽園』とほぼ同じ(※両者は5km位離れています)で、公共交通機関からのアクセスは良い場所ではないものの、集落の周囲には一面にりんご畑が広がり、立派なお屋敷も点在する地域。そして岩木山が目の前!またその地名は、桓武天皇の皇子・葛原親王に由来するとも言われます(この地に流れてきた豪族の祖先)。
この庭園・邸宅を造営した「三上氏」はこの集落の素封家(豪農でもあった?)で、代々「源造」を名乗りました。現在民泊施設として活用されている茅葺屋根の古民家は1908年(明治41年)に造営(再建)されたもの(その後大正時代に増築)。囲炉裏のある土間は農家らしい雰囲気を醸しつつ、庭園に面した主座敷は書院造り。当時この建築の設計図は《出雲国産西川正啓藤原尊則製作》。既に全国の行き来が一般化している時代?とは言え、弘前の和風建築を出雲の人物が手掛けているのは興味深い。
なお民泊としての活用にあたって、青森ヒバのお風呂など所々“和モダン”なテイストに補修もされています。(その他にも様々なこだわりの材が。ぜひご当主からお話を聞いてみて)
主座敷から国登録文化財の庭園が鑑賞できます。中央に池を置いた池泉鑑賞式庭園。大石武学流庭園に出てくる要素がこの庭園にも表され、池泉の手前にある大きな石が「礼拝石」(かつてはお供物も置かれていたとか)。正面に見える山のような石が岩木山を表した「守護石」、そして奥には自然石を組み合わせた独特な灯籠「野夜灯」。そして守護石の隣には、この庭園独自の「三神石」という巨石が配されています。
また、お庭に出て庭園の下手側に立つと、正面(座敷から見て上手側)に岩木山をのぞむことができます。数ある弘前近郊の文化財庭園の中でも、最も間近に岩木山を眺められるのがこの庭園…!
同じく上手側には「庭造 三神石記念」と書かれた大きな石碑が。これがこの庭園の作庭年月や作庭者の重要な記録。国の文化財に指定・登録されている場所は数あれど、こんなにはっきりと作庭年月や作庭者が書かれた石碑ってほとんど見たことがない!
また弘前と言えば「桜」。この丹鶴庵にもソメイヨシノ、枝垂れ桜、山桜など13本の桜が植わっているそう。そして春に訪れれば、まだ雪解けしている最中の岩木山がのぞめる…ので、また春にぜひ訪れてみたい古民家&庭園!
(2023年9月訪問。以下の情報は訪問時の情報です。最新の情報は各種公式サイトをご確認ください。)
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