江戸時代には会津藩の本陣、戊辰戦争では白虎隊の出陣の地にもなった国指定史跡に残る遠州流庭園。
旧滝沢本陣庭園について
「旧滝沢本陣」(きゅうたきざわほんじん)は会津藩の本陣跡。その敷地は国指定史跡、そして江戸時代より残る主屋とお座敷は「旧滝沢本陣横山家住宅」として国指定重要文化財となっています。ちなみに見学時にいただいたパンフレットでは「会津藩御本陣」という名称も載ってますが、地図でも観光サイトでも大体「旧滝沢本陣」名義。
2019年GWに約1年半ぶりに会津若松へ行きました。その1年半前の段階で、この施設に遠州流庭園があるというのは知っていたけど――時間の都合で訪れることができず。今回初めて訪れました!会津若松と言ったら鶴ヶ城の城下町。なのでここも最初は勝手に武家屋敷なのかなと思い込んでいたのですが、その名の通り武家屋敷ではなく「旧白河街道の本陣」。江戸時代は参勤交代の際の本陣として藩主の休息所として利用されたそう。
ただやはり、会津若松と言ったら戊辰戦争・白虎隊。戊辰戦争時には大本営となり、松平容保公が白虎隊に出陣を命じたという(少し悲劇的な)歴史的スポットであり、また同じく戊辰戦争を戦った新撰組ゆかりの場所でもあります。主屋の中にはその戦争の際の弾痕や刀傷が残りますが、これは当時の傷をそのまま保存しているもの。
一方でその戦災に遭いながらも江戸時代初期〜後期の茅葺屋根の建造物が残ったというのはとても貴重。主屋から眺められる池泉鑑賞式庭園もその当時(江戸時代)から残るもの――と何かで読んだ気がするんだけど、パンフレットには載っておらず…だとすると建物内にあった説明板なんだけど、その説明板を撮ってないんだよな…そういう文章は極力撮るようにしてるので勘違いの可能性もあるかも。作風や雰囲気は江戸時代って感じがするけれど。
小さな石を多く用いた亀島とそれを取り囲む築山とサツキ・ツツジが見所の遠州流庭園。江戸時代の会津の遠州流庭園と言えば『御薬園』の作庭者の目黒浄定との関連性も気になるところ。そしてその庭園から主屋・座敷・現在の住居?に沿って流れが伸びているのだけど、この流れがもし当時からあるものならばもっと大きな庭園だったのかもなあ…とも思う。
旧滝沢本陣の近くには螺旋階段で有名な国重文『さざえ堂』もあります(というかそちらの方が観光客多い!)。あわせてどうぞ!
(2019年5月訪問。以下の情報は訪問時の情報です。最新の情報は各種公式サイトをご確認ください。)
アクセス・住所 / Locations
JR磐越西線 会津若松駅より約2km(徒歩約25分)※駅にレンタサイクルあり
会津若松駅より観光周遊バス「飯盛山下」バス停下車 徒歩5分
〒965-0003 福島県会津若松市一箕町大字八幡滝沢122 MAP