
“肥前の炭鉱王”高取伊好が造営した国指定重要文化財の近代の豪邸…皇族も訪れたその近代日本庭園も2023年、佐賀県指定文化財庭園に!
旧高取家住宅庭園(旧高取邸/旧高取氏庭園)について
【建築内部は撮影禁止】
「旧高取邸」(きゅうたかとりてい)は“肥前の炭鉱王”とも呼ばれた実業家・高取伊好が自邸として明治時代に建立した邸宅。和館・洋館を併設する和洋折衷の近代建築は「旧高取家住宅」として国指定重要文化財。2023年には建築に続き庭園も佐賀県指定文化財(佐賀県指定名勝)となりました。
江戸時代には唐津藩の城下町。幕末~近代に掛けては近代日本を代表する建築家・辰野金吾を輩出、多くのレトロな洋風建築も残る町・唐津。その唐津の中で最も文化財的価値が高い建築は、唐津城でもなく辰野金吾の銀行建築でもなく、この「旧高取邸」。
唐津湾をのぞむ続日本100名城『唐津城』(舞鶴城)から西へ徒歩10分程の海岸沿いに見えてくる石垣と松並木、和洋折衷の玄関。この豪邸は佐賀県内の「杵島炭鉱」「芳谷炭鉱」「相知炭鉱」を経営した炭鉱経営者・高取伊好が構えた邸宅。
佐賀藩・多久出身の高取。黎明期の慶應義塾で鉱山学を学び、独立以前には長崎の「高島炭鉱」(『軍艦島』と共に世界遺産「明治日本の産業革命遺産」に含まれる)を担当。大隈重信や三菱財閥・岩崎弥太郎からも厚遇されました。
石炭の積出港だった唐津を選び、1904年(明治37年)よりこの邸宅の造営を開始。国指定重要文化財の主屋は「居室棟」「大広間棟」の2棟から構成されます。
表からも見える洋間、格天井のある仏間、庭園をのぞむ大広間、茶室「松風庵」…など欄間や襖絵などの意匠にも贅が尽くされた数多くの部屋があります(建物内部は撮影禁止なのでなかなか全て記憶できないのが玉に瑕…)。特にパンフレットにも掲載されている、京都四条派の絵師・水野香圃の描いた能舞台の襖絵は素晴らしい!
建築もド広い豪邸なのですが、約2,300坪の敷地の大部分を占めるのは庭園。初めて訪れた頃には(寺院のお庭と比べて)「庭園」としてはほぼクローズアップされていなかったのですが、素晴らしいお庭じゃないか…!と思っていたら2023年に晴れて庭園も佐賀県指定名勝に(武雄鍋島氏の『御船山楽園』に次いで県内2箇所目)。
文化財指定されている4つのエリアのお庭(中庭、北側の庭、奥庭、朝香宮お手植えの松の庭)に加えて、玄関前庭と5つのエリアから構成されます。順路とは逆になりますが、往時のルートに沿って紹介。(尚、庭園は建物の外周から眺めるのみ)
■玄関前庭(4~7枚目)
猫ちゃん?狼の様な獣?や井戸などの石造物と、マツやツツジ等の刈込、ハラン、ソテツなどの植栽から構成されるお庭。他の庭園と比べて造形性はあまり無いけれど、高取邸に数多くあるマツと異なり、ソテツが唯一あるのがこのお庭でもある。
■朝香宮お手植えの松の庭(8枚目)
1920年(大正9年)、『東京都庭園美術館』が有名な朝香宮殿下が御来臨の際に作庭されたとされるお庭で、その名の通りお手植えの松がその中心。
ちなみに、朝香宮鳩彦王の子女は旧肥前佐賀藩主・鍋島家13代目当主の侯爵・鍋島直泰の夫人となっています。
■奥庭(9~17枚目)
大広間棟に面する、旧高取邸の主庭。奥大広間の東側に池泉をもうけ、全面的に張り巡らされた芝生の中に飛び石が配された回遊式庭園。
大広間棟の2階から眺めるとこのお庭にマツが多く植わっていることがよくわかります。(文化財指定前に訪れた時に許可をいただいて1枚のみ撮影した写真もあわせて紹介)。現在は木が成長し(当地の『虹の松原』を意識した防風林や目隠しも兼ねている?)唐津湾が望みづらいけど、以前は2階から庭園越しの海の景観を楽しんでいたのでしょう。
■北側の庭(18~24枚目)
建物の西側、居室棟の仏間に面するお庭。この旧高取邸のお庭には各所に唐津焼の作品が景物として配されている(※ただし外周から眺めているとはっきり見えないものも多い…)のですが、ここでも唐津焼の壺が手水鉢的に配されているのが特徴的。
■中庭
大広間棟と居住棟に囲まれたお庭で、玄関に付随する待合から茶室「松風庵」へと至る露地庭(茶庭)。写真は紹介できないけれどこちらもすごく良い!
前述通り、庭園は建物の外周から眺めるのみですが、ときおりボランティアガイドさんの案内・解説とともに普段は中には入れない庭園を回遊するイベントが開催されています。詳しくは唐津市公式サイトをチェック!
(2018年10月、2025年3月訪問。以下の情報は訪問時の情報です。最新の情報は各種公式サイトをご確認ください。)
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