松花堂昭乗ゆかりの寺院に再建された日本百名席の茶室“閑雲軒”と、久保篤三作庭の現代枯山水庭園“南天の庭”。
泰勝寺庭園・閑雲軒について
【通常非公開/特別公開日は電話にて問合せ】
「泰勝寺」(たいしょうじ)は“日本三大八幡”の一つに挙げられる国宝『石清水八幡宮』が鎮座する男山の麓にある寺院。江戸時代初期の文化人・松花堂昭乗が暮らした『滝本坊』を受け継ぐ寺院で、男山の国指定史跡『松花堂跡』から七曲がりという坂を下ってすぐ。
京都・久保篤三(久保造園)により作庭された現代の枯山水庭園と、武者小路千家12代目・木津聿斎(木津宗詮)により修復・再建された『松花堂』にあった茶室“閑雲軒”があります。
通常非公開ですが、正月の三が日や春・秋に月1日程度、公開日が設けられます。日程は要電話確認(&予約)。2019年に『松花堂美術館』で行われていた《茶室のアイデア ~中村昌生と「庭屋一如」~》展でその存在を知り、2020年11月の秋の公開日に予約して初めて鑑賞。そして2022年5月の『松花堂ウォーク』開催日にも開門されていたので1年半ぶりに訪れました。
明治時代の神仏分離令により、石清水八幡宮と共に男山山内で信仰されていた各寺院は一転、廃寺に。松花堂昭乗ゆかりの『滝本坊』もその一つで、寺内にあった松花堂昭乗の墓所も風雨に曝され荒れ果てたそう。
それを見かねた八幡の『円福寺』住職で妙心寺の管長もされていた神月徹宗老師の発願で“松花堂保存会”が結成。住友財閥・住友春翠、細川侯爵家、内閣総理大臣や大蔵大臣を歴任した松方正義らの支援により1918年(大正7年)に滝本坊改め泰勝寺が建立されました。庭には松方正義による石碑が。
で、この泰勝寺という名は熊本にある細川家の菩提寺『泰勝寺』から「使っていいよ」と引継がれたもの。熊本の『泰勝寺跡』も2年前に訪れました。こちらもやはり神仏分離令により明治時代に廃寺になった場所ですが、現代もなお細川本邸がその敷地内にあり、歴代細川家の墓所が国指定史跡になっています。細川家ゆかりの茶室なども(また、かつては『泰勝寺庭園』の名で熊本県指定名勝だった)。
本堂から眺められる石庭“南天の庭”は昭和年代に入ってから作庭された庭園で、その名の通り数多くの南天が植わっているのと立石による石組が特徴。作庭は京都・洛北の「久保造園」久保篤三。この庭園で昭和53年の日本庭園コンクールで受賞されたそう。
…そのコンクールの情報は検索しても出てこないけれど、めちゃくちゃかっこいい現代枯山水庭園でずっと見るのを楽しみにしていた。直線的な石橋に苔から飛び出てくる舟石、そして波のような石。かっこいいなー。
そして中門をくぐって茶席“閑雲軒”へ。こちらも日本百名席に挙げられるお茶室、中の床の脇の天袋の絵は昭乗による筆。
中門が武者小路千家流なのは元からそうだったのか、木津聿斎が自らの流派に従ってそうしたかは不明…。なお木津聿斎は大阪の住友本家の茶室(現在『慶沢園』に残る長生庵)にも関わっている。住友春翠が松花堂保存会のパトロンの一人だった所からの繋がりで携わったのかなと。
宝物館では松花堂昭乗の作品の他にも同じ“寛永の三筆”本阿弥光悦の書や、同じ時代に活躍した石川丈山、沢庵宗彭和尚などのゆかりの品々が展示されています。八幡の隠れた名刹。また行きたい。
(2020年11月、2022年5月訪問。以下の情報は訪問時の情報です。最新の情報は各種公式サイトをご確認ください。)