太閤園庭園

Taikoen Garden, Osaka

“藤田財閥”藤田傳三郎が明治時代に造営した御殿がルーツの料亭/結婚式場。現代大阪を代表する日本庭園の一つ。

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太閤園庭園について

【2021年6月で閉業】
「太閤園」(たいこうえん)は近代に大阪・関西の財界を代表した実業家で“藤田財閥”創始者・藤田傳三郎の邸宅“綱島御殿”をルーツとする料亭/レストラン/結婚式場。往時から残る近代和風建築“淀川邸”を中心に広大な築山式回遊庭園が残ります。

2021年6月30日に閉館となる太閤園。この春に訪れたのでその写真を紹介。(庭園だけ鑑賞できた時もありましたが、最終週は食事の方のみ。)

そのルーツは明治時代の1893年(昭和26年)。藤田伝三郎は大工棟梁に今井平七を迎え淀川のほとりに自らの本邸を造営を開始。
現在の太閤園も約8,000坪という広さをほこりますが、最盛期の藤田本邸は更に広大。道を挟んで隣接する『藤田美術館』や『藤田邸跡公園』(庭園としてはこちらの方が古く、大阪市指定名勝)、そして近代建築“大阪市公館”を活用した結婚式場/レストラン『ザ・ガーデンオリエンタル・大阪』までが藤田邸でした。

伝三郎亡き後に藤田邸はその子どもたちに分割され相続。太閤園および淀川邸は次男・藤田徳次郎が引継いだ“東邸”(明治後期の1910年頃完成)がそのルーツ。なお長男・藤田平太郎が引継いだのが現在の東京の『椿山荘』(元勲・山縣有朋⇒長州藩士としての縁もあった藤田傳三郎に譲渡)で、現在はいずれも藤田観光株式会社が運営しています。

大阪の藤田邸も第二次世界大戦中に空襲の被害に遭いますが、幸運にも現・淀川邸および表門と蔵(現・藤田美術館の収蔵庫)のみその被害を免れました。そして1959年(昭和34年)に料亭・宴会場として開業。大阪を代表する和の迎賓館として約60年間の歴史を刻みました。

現在も敷地の半分を占めるのが、淀川(大川)から池泉を引き入れた池泉回遊式庭園。当初の作庭には『藤田邸跡公園』の作庭者として名前の挙がる梅園梅叟が関わったと推定され、そして詳しい年代は不明ですが現代には造園家・鈴木崇とともに京都の庭師・小島佐一(小島庭園工務所)や植芳造園により改修・修復され現在の姿となりました。

なので“淀川邸”の周囲など往時の庭園が感じられる部分と現代的な雰囲気を感じられるエリアなど移り変わる風景を楽しむ庭園。
庭園内には藤田家がコレクションした古い石造物が点在し、代表的なものとしては奈良・東大寺の平安時代の大伽藍石や千利休の師・武野紹鴎のゆかりの室町時代の石塔“紹鴎の塔”なども。小豆島の一枚岩の石橋越しに紹鴎の塔を眺めるこの庭園の一番のビューポイントの先には、大阪ビジネスパークの超高層ビル“クリスタルタワー”という現代の借景。偶然にしてもすごく面白い。

藤田伝三郎および長男・藤田平太郎、次男・藤田徳次郎は数寄者、茶人でもありました。庭園内には大阪市指定文化財の江戸時代の茶室『旧貴志邸茶室』も移築されています。大阪市を代表する日本庭園の一つ。

(2018年9月、2021年4月訪問。以下の情報は訪問時の情報です。最新の情報は各種公式サイトをご確認ください。)

アクセス・住所 / Locations

JR東西線 大阪城北詰駅より徒歩3分
大阪メトロ長堀鶴見緑地線 大阪ビジネスパーク駅より徒歩8分
JR大阪環状線・京阪本線・地下鉄 京橋駅より徒歩10〜15分

〒534-0026 大阪府大阪市都島区網島町9-10 MAP

投稿者プロフィール

イトウマサトシ
イトウマサトシ
Instagram約9万フォロワーの日本庭園メディア『おにわさん』中の人。これまで足を運んで紹介した庭園の数は2,000以上。執筆・お仕事のご依頼も受け付けています!ご連絡はSNSのDMよりお願いいたします。
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