禅僧・沢庵宗彭和尚が長年過ごし自ら作庭したと伝わる池泉鑑賞式庭園と、現代の苔庭。兵庫県指定名勝。
宗鏡寺庭園(沢庵寺)について
「円覚山 宗鏡寺」(すきょうじ)は南北朝時代の武将として活躍した但馬国守護・山名氏清により1392年に開かれた寺院。その寺名は氏清の法名「宗鏡寺殿」から名付けられたとされます。また江戸時代には江戸初期の著名な僧のひとり・沢庵宗彭和尚が少年期と晩年を過ごした寺院で、通称は“沢庵寺”。沢庵和尚によって作庭された庭園が兵庫県指定名勝となっています。
2019年夏、初めて重要伝統的建造物群保存地区である出石の城下町へ行きました!『たゆう庭園』など京都丹後鉄道を巡った後に、好きなバンドbonobosがMV(『アルペジオ』)を撮影した地・豊岡へ。これで踏破した重伝建は75箇所目ぐらい。歴史ある地域だけあって古庭園も色々とあるみたい――なのですが、ひとまず出石の城下町の代表的な庭園のあるこちらへ。
…本当はここ以外にも幾つか観たいと思っていたのだけれど、急遽京都へ戻らなければいけない用事ができ…初めての出石の滞在時間が1時間にも満たない形になってしまったのは超残念…。
まず宗鏡寺と縁深い沢庵和尚について。江戸幕府3代目将軍・徳川家光が帰依し、柳生宗矩や宮本武蔵の師匠とも言われ、京都・大徳寺で住職も務めた沢庵和尚ですが当サイトで取り上げるのはこの宗鏡寺が初めて。出身がこの出石であり、10歳で出家したのち13歳で宗鏡寺に入りました。その後は京都、堺などで活躍・出世したのち40代半ばで宗鏡寺に戻り、出石藩主・小出吉英とともに再興。以後、宗鏡寺は代々の出石城主の菩提寺に。
兵庫県指定名勝(兵庫県指定文化財)となっている池泉鑑賞式庭園“鶴亀の庭”は1616年の宗鏡寺再建の際に沢庵和尚により作庭されたものと伝わります。その名の通り池泉の中には亀島が配され、その池泉は斜面として利用している背後の山から引かれた水によるもの。
訪れた今回は快晴で影で見えづらい部分もあるのだけど…池泉の周りにはドウダンツツジやカエデ類(イロハモミジ?)があり、紅葉時期にはよりきれいなんだろうなあ…。そして斜面には沢庵和尚手植えのわびすけ椿も。
そして“鶴亀の庭”の高台部には茶室「対来閣」「投淵軒」と、“心字の池”という池泉回遊式庭園(の遺構)があります。「投淵軒」は沢庵和尚が隠居の為に建てた草庵で、こちらで約8年間暮らされたそう。また心字池はそれと共に沢庵和尚が作庭したもので、池の畔のモミジは当時植えられたもの(樹齢350年…と書かれてるけど今はもう約400年と言った方が近いのだろう)とのこと。
宗鏡寺にはもう一つ庭園があり、“鶴亀の庭”に至る途中に一面の苔の中に石組が配された枯山水庭園があります(本堂南庭)。この美しい苔庭にも目を奪われる…お寺のリーフレットの表紙に使われているのがこちらというのも納得。作庭は宗鏡寺十二世住職・永田豊洲和尚に帰依した久留米出身の画家・内野秀美さん(この方かな?)。こちらも頭上のモミジが秋には美しかろう…!
最後に沢庵和尚の話に戻る。晩年は徳川家光が帰依され、家光により創建され当時は大寺院だったとされる品川『東海寺』の初代住職を務めました。
また漬物の「たくあん」の名前の由来とも言われ、沢庵和尚が東海寺を訪れた家光に献上したところ家光が気に入り「沢庵漬け」と名付けたとか名付けなかったとか…そんな感じで沢庵の墓所は東海寺と宗鏡寺にあります。
宗鏡寺に隣接する『願成寺』にも沢庵作庭と伝わる庭園があるそう。今回は時間の都合&一応非公開とある&お盆で忙しそうだったのでお聞きできず…また次回出石を訪れる際に。
ちなみにGWに山形県上山市で『春雨庵』という山形県指定史跡の草庵を見たのですが、そこは沢庵和尚が出羽国に流罪になった際に、迎え入れた上山藩主・土岐頼行により建立されたもの。そうだったのか…(繋がった…)。こちらも面白い構造の建物だったので後日紹介予定!
(2019年8月訪問。以下の情報は訪問時の情報です。最新の情報は各種公式サイトをご確認ください。)
アクセス・住所 / Locations
JR山陰本線 豊岡駅・江原駅より路線バス「沢庵寺口」バス停下車 徒歩約10分
八鹿駅からの路線バスの場合は「松枝」バス停下車 徒歩10分強
〒668-0217 兵庫県豊岡市出石町東條33 MAP