“一休さん”こと一休宗純禅師が晩年を過ごした寺院の石川丈山や松花堂昭乗、村田珠光ら作庭の庭園。国指定名勝。
酬恩庵一休寺庭園について
「一休寺」(いっきゅうでら)の通称で知られる「酬恩庵」(しゅうおんあん)は室町時代に“一休さん”こと一休宗純和尚が再興し、晩年を過ごした寺院。寛永文化を支えた石川丈山、松花堂昭乗、佐川田喜六昌俊の三者により江戸時代初期に作庭された方丈庭園が国指定名勝となっているほか、室町時代~江戸時代初期に建てられた本堂・庫裏・方丈などが国指定重要文化財。
2021年2月に約3年ぶりに訪れたのでその時の写真を追加。
鎌倉時代に臨済宗の高僧・大応国師(南浦紹明)が創建した『妙勝寺』を前身とします。
兵火により荒廃したこのお寺を一休禅師が再興し「酬恩庵」と名付けたのが室町時代中期の1455~1456年。京都『大徳寺』の住職となった後も拠点は酬恩庵で、一休さんは1481年(文明13年)11月にこのお寺で最期を迎えました。なお一休さんが入る少し前の永享年間(1429~1441年)に室町幕府6代目将軍・足利義教により寄進された本堂(法堂)が一休寺で最古の建物。
三代目加賀藩主・前田利常が大坂冬の陣の際に陣をかまえたことから江戸時代には加賀藩・前田家ゆかりの寺院に。国重要文化財の唐門(玄関)・方丈・庫裏・東司・鐘楼・浴室の6棟が前田利常の支援により1650年(慶安3年)に建立されたもの。方丈では狩野探幽の襖絵も鑑賞できます。
その方丈を取り囲むのが国指定名勝の枯山水庭園。まずは白砂と丸い刈込、そしてソテツから構成される禅宗庭園で、この庭園が石川丈山、松花堂昭乗、佐川田喜六(佐川田昌俊)の合作によるとされるもの。
佐川田昌俊は元は上杉景勝に仕えた武将。同じく武将出身の石川丈山と親しく、そしてお茶を小堀遠州から、書を松花堂昭乗から学び、晩年は一休寺の傍らで暮らし墓所も一休寺に。そう聞くとこの庭園の一番のキーパーソンはこの人だったのかも。
方丈の東北隅に配された鋭い枯滝石組を中心として、築地塀沿いの東庭は十六羅漢の遊行を表現した“十六羅漢の庭”、そして方丈の真裏になる北庭は“蓬莱の庭”となっています。京田辺の平野~山並みの借景も美しい。いずれもサツキの刈込が小さくきれいに刈り込まれているので、次は晩春にも訪れたいな…。
方丈南庭の庭園上部に見える檜皮葺の建物が、一休さんが京都・東山から移築し生活していた『虎丘庵』。通常非公開ですが例年2月に特別拝観があり、茶道の祖・村田珠光作庭の枯山水庭園(こちらも国指定名勝)を鑑賞することができます。2021年はその特別拝観に初めて訪れたので、一休さんの墓所“宗純王廟”とともに別途紹介。
後に千利休へと伝わる茶道を発明した村田珠光や、このお寺に墓所がある能楽観世流三代目・音阿弥も一休禅師から文化を学んだ一人でした。
本堂の裏には現代の池泉回遊式庭園として“二十世紀の森”があります。かわいらしい様々な石造物と季節の花々とともにこちらも楽しんで。
(2015年1月、2018年3月、2021年2月訪問。以下の情報は訪問時の情報です。最新の情報は各種公式サイトをご確認ください。)
アクセス・住所 / Locations
JR学研都市線 京田辺駅より徒歩15分強
近鉄京都線 新田辺駅より徒歩20分強
新田辺駅・石清水八幡宮駅より路線バス「一休寺道」バス停下車 徒歩8分
〒610-0341 京都府京田辺市薪里ノ内102 MAP