
京都駅から最寄りの池泉回遊式庭園は、大寺院『東本願寺』の飛地境内地に石川丈山によって作庭された庭園。国指定名勝。
東本願寺 渉成園について
「渉成園」(しょうせいえん)は京都駅から最も近い国指定名勝の庭園。大きな通り(烏丸通)を挟んでいますが、京都を代表する寺院の一つ『東本願寺』の境内(飛地)にあたり、江戸時代初期に江戸幕府三代目将軍・徳川家光から寄進された土地に、『詩仙堂』などを造った石川丈山の趣向を取り入れ作庭されたと伝わる池泉回遊式庭園。
2019年12月に約3年ぶりに訪れました!紅葉が遅いと言われる今年、京都市内は北の方の紅葉がピークが去った後だったけれど京都駅から近いこちらはちょうどピークに近い感じだった。
ちなみに今回訪れたタイミングでは庭園の保存修理事業が始まっていて(11月末~3月)、庭園の奥(東部)の印月池の水が抜かれていた。渉成園の公式によると2014年より10ヵ年計画で進行しているそう。決して短いとは言えない年月――ですが既に約400年の歳を重ねている庭園にとっては短いものか。このような維持管理に当たっている人、尊い。
かつて平安時代には嵯峨天皇の皇子で左大臣を務めた源融が“六条河原院”という庭園を営んだと伝わります。ちなみにその源融、『源氏物語』の主人公・光源氏のモデルとも言われます。
現在は『渉成園の前身は六条河原院』という説は否定されているそうですが――河原町六条からほど近い渉成園のあたりにそのような場所があったのはきっとそうなんだろうし――京都駅近くに「塩竃町」「塩小路」と言った地名が登場するのはその六条河原院が宮城県塩釜市の風景を模して造られた点を由来するのだとか。園内には源融ゆかりの石塔や、鎌倉時代の“塩釜の手水鉢”といった石造物も。松島湾の風景が美しい、『鹽竈神社』は嵯峨天皇の時代に編纂された文書「弘仁式」にも登場します。
江戸時代初期、家光より東本願寺の13代目・宣如上人にこの土地が寄進。作庭者として名前が挙がる文人・石川丈山は宣如上人と関係性が深かったとされ、隠居地としてこの邸宅と庭園の造営が進められました。
また『枳殻邸』(きこくてい。難読…)という表記は、境内周辺に枳殻(からたち)が植えてあったことが由来しており、人の名前ではなかった。最近このカラタチで作られた生垣を最近初めて見た(触った)のですが、マジで痛いんですよね…。自然の有刺鉄線。
園内には現在も大広間「閬風亭」、臨池亭、滴翠軒、お寺の山門のような茶室「蘆庵」、高台にある茶室「縮遠亭」や池にせり出した「漱枕居」…といった歴史的建造物がありますが、当初の建造物は江戸時代末期に二度の大火により焼失。現在残る建築は明治時代以降に順次再建されたもの。一般の庭園拝観では入れませんが、建物内を活用したイベントも時折行われているようです。
その池泉回遊式庭園は、その他の寺社仏閣の庭園と比較すると――お堂の裏に作庭されたというものとは異なり、江戸時代の大名庭園のような雰囲気。大きな池泉は「閬風亭」の前にも臨池亭の前にもあり、そしてそれらを繋ぐように曲水の流れも。この作風はこの空間は宣如上人にとっては隠居地だったという、比較的自由に楽しめる空間という性質だったから。
その変わり続ける風景は文人であり“山紫水明処”の命名者・頼山陽によって書かれた『渉成園記』にも“渉成園十三景”として描かれているそう。大きな池泉=海や湖の風景から、紅葉が多く植わっている山深い雰囲気のエリアや――「閬風亭」の前に立つと借景として東山を眺めることができます。
現代では周囲に多くのマンションやビルが立っており、山の景色も少しずつ失われていくのかもしれないけど――(京都タワーの風景もそれはそれで好きなのだけど、その前に工事中の建物が見える)、現在かろうじて残っている山の風景は残るといいなぁ。
(2012年1月、2016年12月、2019年12月訪問。以下の情報は訪問時の情報です。最新の情報は各種公式サイトをご確認ください。)