平安時代には空海も訪れた霊山“妙高山”の雪形を借景とし、古くは室町時代に歌われた庭園。国指定名勝。
旧関山宝蔵院庭園について
「旧関山宝蔵院庭園」(きゅうせきやまほうぞういんていえん)は妙高山を借景とした池泉鑑賞式庭園。2013年に国指定名勝となり、2016年から行われていた修復を2018年に終え一般公開が開始されました。
2019年のGWに初めて訪れました!ひとまず自由拝観のような形のようですが(雪深い場所なので冬期は見られないかも)、隣接している関山神社で有料で解説が販売されているのでそちらを購入しつつ志納を。
まず“妙高山”について。元々“妙高山”という名前自体が仏教的な意味合い(須弥山と同じ意)が込められているそうで、奈良時代に裸行上人によって開かれ、平安時代には弘法大師・空海が山頂を極め、妙高山の里宮を建立したそう。それが現在の「関山神社」の前身。この地は山岳修験の道場として最盛期にはこの地には70もの寺院が存在したとか。宝蔵院もその一つ。
時を経て、戦国時代に織田信長の侵攻により一帯は焼失――したものの、江戸時代に入ると幕府の庇護を受け宝蔵院を含む寺院が再興、その流れで宝蔵院2世住職であり上杉謙信の甥とされる俊海によって関山神社の社殿が再建。なお現在建つ社殿は江戸時代後期の1818年に完成したもので、国登録有形文化財になっています。また飛鳥時代の作で国指定重要文化財となっている「銅造菩薩立像」を主尊としています。
ちなみに夏に行われる“火祭り”は1300年の歴史があるそうなので、裸行上人や空海によって開山された頃から始まっているということになるのかな。
明治時代に入り神仏分離・廃仏毀釈によって宝蔵院は廃寺に。70も寺院があったとは信じられない程、英彦山とかと比べて爪痕も残っておらず跡形もなく住宅街になっている感じ…。神社へ向かうメインストリート沿いの民家に、割と雰囲気ある池泉や岩が配されてたりするのが見えたので、お寺の跡地なんだろうな〜とは思いつつ。あと神社境内にある「妙高堂」は木曽義仲ゆかりの“関山神社善光寺”の名残だそう。
関山神社の石橋から北へ徒歩2分の場所に「旧関山宝蔵院庭園」はあります。この庭園は元は関山神社の別当寺だった「妙高山雲上寺宝蔵院」という天台宗の寺院の庭園として作庭されたもの。宝蔵院は寛永寺の末寺として徳川将軍家の庇護も受け、妙高山を含む妙高五山を拝領し、妙国山麓一帯を支配していたそう。
この庭園の魅力・価値はなんと言っても妙高山の借景と、山から流れてきたように見せている5mもの滝と石組。この借景を維持し続けられたのは妙国山麓に多大な影響力があった現れ――なのですが、廃仏毀釈後は放置・荒廃したため現在の姿は前述通り復元されたてのもの。
ちょっとスマホの画質じゃわかりづらくて残念なのですが…訪れたGWにはまだまだ山に雪が残っていて――地元・新潟の方が言うにも5月〜6月上旬なら雪が残っていて最も美しいとのこと。
上越タウンジャーナルさんの『妙高山に「山」の字の雪形 江戸時代は「跳ね馬」より有名だった?』という記事によると、妙高山は『山』の字のような雪形が見えることが歴史的にも景勝として知られていたそう。江戸時代には複数の絵図や当時宝蔵院が発行した御札にその『山』が描かれているので、この庭園は古くからその『山』の字を借景として愛されていた庭園なのだと思う。
作庭時期は不明なのですが、室町時代半ばの1478年に連歌師・宗祇がこの庭園を賛美した“水にすむ 心やみ山 あきの庭”という歌を残したそうなので当時には何らかの庭があったのだと思います。滝の上(背後)には水路が続いていて、どこかに山からの湧水による水源があるのだと思うのですが――室町時代にこの滝を備えていたとしたらものすごい。
2020年には四阿といった建造物も整備されるそう。秋にも一足速く雪の借景が見られたりするのかなあ。また訪れたい!
(2019年5月訪問。以下の情報は訪問時の情報です。最新の情報は各種公式サイトをご確認ください。)
アクセス・住所 / Locations
えちごトキめき鉄道 妙高はねうまライン 関山駅より徒歩約20分
関山駅より路線バス「関山神社前」バス停下車 徒歩5分
〒949-2235 新潟県妙高市大字関山4808 MAP