2022年には豪雨の被害も…。幼少期・竹千代の徳川家康が太原雪斎から学んだ寺院で家康が作庭に携わった国指定文化財庭園。
徳川家康ゆかり。清見寺庭園について
「巨鼇山 清見寺」(せいけんじ)は東海道五十三次の17番目の宿場町“興津宿”に建つ、1300年の歴史ある古刹。徳川家康が幼少〜少年期に勉学に励んだ寺院として知られ、江戸時代初期に家康の意向も取り入れて作庭された庭園が国指定文化財(国指定名勝)となっています。また広島県福山市鞆町にある『福禅寺』などと共に「朝鮮通信使遺跡」として国指定史跡。
飛鳥時代にもうけられた関所「清見関」からその名を取って奈良時代に創建された、静岡県屈指の歴史のある古寺。平安時代には天台宗の寺院だったそうですが、鎌倉時代に禅宗に改宗(現在は臨済宗妙心寺派)。
室町時代には禅宗に深く帰依した初代将軍・足利尊氏による「全国十刹」にも選ばれました。
戦国時代には駿河国の大名・今川氏により保護されたものの、東西の交通の要衝でもあるこの地は戦乱も絶えずたびたび荒廃。今川義元が安定した地位を築いた後、そのバックアップの下で義元の参謀&禅僧・太原雪斎により復興されました。
この太原雪斎、今川家の人質となった幼少時代の徳川家康(松平竹千代)の先生(的な存在)として伝記(や漫画)にもよく描かれる有名人物。むしろ「え、あの時に竹千代が学んでたのってこのお寺だったのか」と…。
その縁から家康が大人になった後も東西の行き来の際にはたびたび立ち寄り、江戸幕府将軍になった後も清見寺を手厚く保護。
国指定名勝の庭園は家康の意向が反映されているとも、五木三石を自ら配したとも記されます。作庭に携わった庭師?奉行?は山本道斎。心字池を中心として、背後の裏山の斜面を活かしてサツキ/ツツジの刈込が植栽された池泉鑑賞式庭園。
建築も江戸時代のものが多く残り、江戸時代初期より残る山門をはじめ、大方丈・仏殿・書院は江戸時代後期の建築。このうち明治天皇の滞在や皇太子時代の大正天皇が御宿泊された書院が静岡市指定文化財となっています。
そんな名刹も2022年10月に静岡県をおそった豪雨で大きな被害を受け、中でも庭園には山からの土砂が流入し大きく形を変えてしまう状況に…。翌11月に静岡市は文化財修復の補正予算を計上。復旧が終わった際にはぜひ足を運んでみて。
■ 復旧どうする 家康ゆかりの清見寺 城マニアに人気の小島陣屋跡 爪痕は国指定の名勝、史跡にも…(静岡朝日テレビ)
(2014年11月、2016年11月訪問。以下の情報は訪問時の情報です。最新の情報は各種公式サイトをご確認ください。)