
武将&茶人・金森宗和が手掛けた“聚碧園”と国重要文化財の往生極楽院から眺める“有清園”。京都市指定名勝。
大原三千院庭園について
「三千院」(さんぜんいん)は古くは平安時代に最澄が開き、その後は皇族出身者が住職を務めた門跡寺院。2つの池泉庭園が“三千院有清園庭園及び聚碧園庭園”として京都市指定名勝となっており、うち聚碧園の作庭…ではなく修築を手掛けたのは桃山〜江戸期の武将、茶人・金森宗和と伝わります。
京都・大原の代表的な寺院…であり観光名所。2019年に初めて訪れました。超暑い8月の平日でもインバウンドの方中心に多くの人が拝観されていた。
三千院は最澄が比叡山延暦寺を建立する際に作った草庵“円融房”が起源で、『青蓮院門跡』、『妙法院門跡』とあわせ“天台三門跡”と呼ばれる格式の高い寺院。比叡山坂本の穴太衆による石垣がその格式の高さを感じさせる!
一方で、現在の三千院の中で最も古い「往生極楽院」は986年(寛和2年)に天台浄土教の恵心僧都源信により建立された「極楽院」がルーツ。平安時代末期に建てられた阿弥陀堂が国指定重要文化財、内部に鎮座する阿弥陀三尊坐像(阿弥陀如来像、観音菩薩坐像、勢至菩薩坐像)は国宝に指定されています。明治時代初期の1871年に三千院がこの地に移転したことでその境内の一部に取り込まれました。
客殿の周囲に広がるのが“聚碧園”(しゅうへきえん)。金森宗和が作庭ではなく修築を手掛けたということは、年代的には桃山よりもっと古いのかも。石橋まで苔むした一面の緑と小さなサツキの刈込たちによる池泉鑑賞式庭園。西行法師または陵阿上人のお手上の桜は近年5月初旬に白い花を咲かせるとか。
宸殿から往生極楽院へと向かいながら鑑賞できるのが、自然の斜面を利用した池泉回遊式庭園“有清園”(ゆうせいえん)。作庭年代は書かれていないけど、極楽院の歴史から考えると書院庭園よりもっと古いのかもしれませんね…(刈込が全然植わってないし庭園のタイプも全く違う感じがする)。春にはヤマザクラとシャクナゲ、秋にはモミジが美しい庭園になるそうですが、真緑の夏の庭園も良い。…でも日当たりが良すぎてちょっと苔は焼けてる感じ。
そして大原三千院で有名なのは“わらべ地蔵”。彫刻家・杉村孝さんによる小さな地蔵さんが有清園と往生極楽院から進んだ先の苔エリアの中にたたずんでいます。京都以外のお寺でも見ることができますが(静岡『宝泰寺庭園』)、一番写真を見る機会が多いのはこちら。
真夏でこれだけ人が多いのだから、まともなら“人が少ない時期”なんてないのかもしれないけど――また季節を変えて訪れてみたい!
(2019年8月訪問。以下の情報は訪問時の情報です。最新の情報は各種公式サイトをご確認ください。)