江戸時代末期、9代目松代藩主・真田幸教により造営された真田家の御殿とその庭園“水心秋月亭”。国指定史跡。
真田邸庭園について
「真田邸」(さなだてい)は江戸時代初期~幕末まで松代藩主をつとめた大名・真田家の大名屋敷。すぐ近くにある松代城の城外御殿で「松代城跡 附 新御殿跡」として国指定史跡となっています。通称“新御殿”。御殿からはノロシ山をはじめとする周囲の山々を借景として取り込んだ池泉鑑賞式庭園が眺められます。2016年に初めて訪れ、2019年5月に再訪!
江戸時代、信濃国の中では最も大きな規模をほこった城下町はこの松代。戦国時代に川中島で相対した武田氏(武田信玄)や、上杉氏(謙信ではなく上杉景勝)もこの地を領地とし軍事的拠点として重要視され、松代城の前身・海津城も戦国時代の築城。1622年に上田藩からこの地に移った真田信之が入って以降は200年以上に渡り真田家がこの地を治めました。
(上田市も観光では真田推しなのですが、長く藩主をつとめたのは松代。)
長野電鉄屋代線が2012年に廃線となり、アクセスする場合は長野市内や須坂・屋代から路線バスになりますが、城下一帯に現在も数多くの文化財やお屋敷・古民家が残されています。
現在「真田邸」として公開されているこのお屋敷は江戸時代の末期、1864年(元治元年)に9代目藩主・真田幸教が義母・貞松院のために造営したもの。その後は藩主を退いた幸教の隠居所や、廃藩置県後は真田家の別邸としても用いられました。
現代に入り1966年(明治41年)に真田家12代当主・真田幸治によって自治体に寄贈され、隣接する“真田宝物館”とともに一般公開が開始されました。
江戸時代の大名屋敷の面影を残す貴重な建造物であり、“水心秋月亭”と名付けられたその庭園も江戸末期から残るもの。座観式ながら大きな心字池を有する築山泉水式庭園で、なんといってもその借景が美しい。
そして池の水は、国登録記念物にもなっている松代の旧武家屋敷の庭園群(『旧山寺常山邸』や『象山神社』の庭園)を通じて流れ込んでいるのだそう。庭園としては文化財になっていないけど、文化財級の貴重な庭園!
(2016年9月、2019年5月訪問。以下の情報は訪問時の情報です。最新の情報は各種公式サイトをご確認ください。)