齋藤氏庭園

Saito-shi Garden, Ishinomaki, Miyagi

東日本大震災の被災から復興された国指定文化財庭園…“東北三大地主”と称された仙台藩屈指の豪農・齋藤家のお屋敷に明治時代に作庭された近代日本庭園。

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齋藤氏庭園“清楽園”について

「齋藤氏庭園」(さいとうしていえん)は宮城県石巻市にある近代日本庭園で、“ランドスケープの国指定重要文化財”こと国指定名勝に選定。秋田・大曲の池田家(『旧池田氏庭園』)、山形・酒田の本間家(『本間氏別邸庭園』)と並び“東北三大地主”と称される大地主のお屋敷で、庭園とともに江戸時代に建築された邸宅・蔵などが残ります。当地で発掘された縄文土器を展示する『宝ヶ峯縄文記念館』を併設。

2011年の東日本大震災では庭園や園内の建築が多大な被害を受けました。長年復旧工事が行われておりましたが、ごく近年その作業が完了し、現在は再び美しい庭園の姿を見せてくれています。

石巻市の北西部、JR石巻線と気仙沼線が交わるJR前谷地駅。ローカル線で東北を旅行した事がある方ならば目にしたことがあるかもしれないその駅から徒歩10〜15分程の場所に実は国指定文化財の庭園があります!

その歴史について。石巻の日和山に「石巻城」を構えた大名・葛西氏(東京の地名「葛西」の由来)。その家臣・齋藤壱岐が齋藤家のルーツで、葛西氏が豊臣秀吉によって滅ぼされた後に帰農し、やがて前谷地に定住します。
江戸時代中期の享保年間(1716年〜1735年)に二代目の齋藤善兵衛が酒造業を始めると勢力を増し、その後にも様々な事業を展開し幕末〜明治維新を迎える頃には“永代大肝入格”の仙台藩屈指の豪農となりました。

近代にも9代目・齋藤善右衛門が家勢をより伸ばし、この頃に“東北三大地主”と称されるまでに。衆議院議員選挙でも当選するなど、斎藤家は戦後の農地改革まで随一の影響力をほこった一方で、その財産を投じてJR石巻線の前身・石巻鉄道の敷設に尽力、研究や社会福祉を目的とした「財団法人斎藤報恩会」を設立、地域や宮城県の発展に貢献しました。

そんな齋藤善右衛門が明治時代後期(明治30〜40年代)に作庭した庭園が現在残る「齋藤氏庭園」。江戸時代に先に造営されていた茅葺屋根の広間や庭園と共に整えられた主屋“清楽亭”からの鑑賞性と回遊性の両方を備えた池泉回遊式庭園で、かつての主屋にちなみ“清楽園”と呼ばれていたそう(※現在の主屋は大正時代に建築された別の建物)。

主屋からは“黄金岡”と呼ばれた裏山を借景に取り込み、庭園内の草花の花木の他にも裏山の竹林が風情を醸します。4月中旬頃にはこの裏山に降り注ぐように生えている枝垂れ桜が美しい!(あと受付〜庭園までの参道にも枝垂れ桜が!)

よくお手入れされた臥龍松、迫力ある築山、その脇にある珍しい?ヒョロっとした石灯籠や“流れ”――色々見どころはあるのですが、あまり「どこどこからの影響を感じる」みたいなものがない?のがこのお庭のオリジナリティや面白さ(同じ豪農の庭園でも北前船の影響エリアとはまた全然異なる)。

で、実はかつては裏山にも園路が続き、太平洋まで眺められる頂上部に「無一庵」という別荘が築かれていたとか(現在は解体)。そしてその庭園〜別荘の造営中に縄文時代の土器・土偶・石器などが発掘。「宝ヶ峰遺跡」と名付けられ、発掘された品々は『宝ヶ峯縄文記念館』で展示されています。
長い時間を掛け、東日本大震災から復興された文化財庭園。ぜひ一度訪れてみて。

(2016年9月、2018年4月、2024年5月訪問。以下の情報は訪問時の情報です。最新の情報は各種公式サイトをご確認ください。)

アクセス・住所 / Locations

JR石巻線 前谷地駅より徒歩12分

〒987-1101 宮城県石巻市前谷地字黒沢73-1 MAP

投稿者プロフィール

イトウマサトシ
イトウマサトシ
Instagram約9万フォロワーの日本庭園メディア『おにわさん』中の人。これまで足を運んで紹介した庭園の数は2,000以上。執筆・お仕事のご依頼も受け付けています!ご連絡はSNSのDMよりお願いいたします。
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