楽々園(玄宮楽々園)Rakurakuen Garden (Genkyu-Rakurakuen), Hikone, Shiga

大名庭園「玄宮園」に隣接する、歴代の彦根藩井伊家の藩主が隠居した御殿とその前に広がる枯山水庭園。

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楽々園(玄宮楽々園)について

「楽々園」(らくらくえん)は日本で5つの国宝の天守閣を持つ「彦根城」の城内に江戸時代に造られた大名庭園で、隣接する「玄宮園」とともに「玄宮楽々園」(げんきゅうらくらくえん)として国指定名勝となっています。

国の特別史跡である彦根城が築かれたのは江戸時代の初め。関ヶ原の戦い後に近江国に入った徳川四天王の一人・井伊直政は当初は石田三成が居城としていた「佐和山城」に入ったものの、敵将の居城を嫌い新たな城郭の造営を計画。直政の死後に後継の井伊直継と井伊家家臣により彦根城が完成。

現在「楽々園」と呼ばれているのは二の丸御殿として建てられた井伊家の下屋敷のあったエリアで、井伊家の隠居した藩主が生活を送る場所として「玄宮園」同じく1677年頃に彦根藩4代藩主・井伊直興の命により建立。当時は「槻御殿」(けやきごてん)と呼ばれ、現在も唐破風の玄関と「御書院」、そして「地震の間」が残っています。

江戸時代の後期、彦根藩11代藩主・井伊直中の隠居に際し大規模な増改築が行われ、現在の御書院はその際に新築したもの。現在御書院の間に広がる枯山水庭園はその際に作庭されたものですが、その窪みから池泉鑑賞式庭園だったことが想像できる通りその当時は池泉式の庭園だったそう。
またその後も彦根藩12代藩主・井伊直亮により「楽々の間」が造営され、現在の庭園が「楽々園」という呼び名となったのはそれが由来となっています。

近年建物の整備工事が継続的に行われています。御書院の一段高い場所にある「地震の間」は2016年の訪問時は見れなくなっていたけど、今回(2018年末)の訪問で見られるように。地震の間の前にも特徴的な石組による庭園が見られます。江戸末期にはこの各種建造物の10倍もの広さの御殿だったと言うのだからすごい…。引き続き定期的に様子を見に来たい庭園!

(2014年12月、2015年3月、2016年5月、2018年12月訪問。以下の情報は訪問時の情報です。最新の情報は各種公式サイトをご確認ください。)

アクセス・住所 / Locations

JR東海道本線 彦根駅より徒歩約15分
または彦根駅から彦根城方面への路線バスに乗車

〒522-0061 滋賀県彦根市金亀町3 MAP