京都にも所縁の場所を多く残す江戸時代の儒学者・頼山陽の居宅跡と、中根金作が作庭した庭園“文人庭”。国指定史跡。
頼山陽史跡資料館(頼山陽居室)について
「頼山陽史跡資料館」(らいさんようしせきしりょうかん)は江戸時代後期に活躍した儒学者/文人・頼山陽やその親で儒学者の頼春水をはじめとする頼家に関する資料や江戸時代の広島に関する資料が展示されている博物館。
敷地内にある「頼山陽居室」が国指定史跡。また庭園は『足立美術館』が有名な作庭家・中根金作が手掛けています。
初めて訪れた時には頼山陽が何者かをよく知らなかったのですが。京都に居るとこの方の名前が残る歴史スポットが幾つもある。『山紫水明処』をはじめ、国指定名勝『東本願寺 渉成園』、平家物語ゆかりの寺『長楽寺庭園』、国指定重要文化財の揚屋『角屋』、そして洛北の隠れ家『山ばな 平八茶屋』…。
実績としては日本の代表的歴史書の一つ『日本外史』をまとめたことで、後の幕末の思想にも影響を与えていく頼山陽ですが、京都で訪れた場所のエピソードや、父・頼春水も広島の大名庭園『縮景園』で三十四景を定めていることなど、思想家としてのインパクトよりも文化人としての印象を今は受けている。
もともとは小早川家の家臣だった頼家。広島県の竹原には頼山陽の祖父にあたる頼惟清の旧宅、そして叔父にあたる頼春風の旧宅(国重文)も残ります。
頼山陽は父・頼春水が広島藩に登用されたことをきっかけに、現在資料館のある場所にあった武家屋敷に移住。青年期および、後に脱藩し京都から連れ戻された後の5年間をこの屋敷、そして離れだった「頼山陽居室」で過ごしました。
元は江戸時代中期の建築だった頼山陽居室。1945年(昭和20年)に原爆投下により全焼してしまいますが、1958年(昭和33年)に復元。(これは戦前に既に国指定史跡となっていたことも影響していたのかも)
居室の前の庭園に残るクロガネモチの木や、資料館の正門脇にある徳富蘇峰の書による石柱(頼山陽先生日本外史著述宅趾)、そして資料館のすぐ隣の「旧日本銀行広島支店」が被爆遺構。
元々の「山陽記念館」が「頼山陽史跡資料館」としてリニューアルオープンしたのは1995年(平成7年)。それと時を同じくして中根金作により現在の庭園が整備されました。
庭園は大きく分けて4箇所。まずは頼山陽居室の前の枯山水庭園。そして竹類が中心に植えられた資料館の玄関ホールの中庭、同じく館内にある坪庭、そして茶室の前の庭。当時の文人が好んだ竹や桐、梅、芭蕉など中国的な趣味の植栽の“文人庭”。
今回訪れた時には、頼春水の『縮景園記』がフリーペーパー的に配布されていた!広島の大名庭園『縮景園』のこともより知ることができる資料。先にこちらをゲットした後縮景園へ行くとより楽しいかも…。広島の繁華街からすぐのこの資料館、オススメです。
(2018年3月、2021年4月訪問。以下の情報は訪問時の情報です。最新の情報は各種公式サイトをご確認ください。)
アクセス・住所 / Locations
広島電鉄 袋町駅より徒歩1分/紙屋町東駅より徒歩7分
JR広島駅より路線バス「袋町」バス停下車 徒歩2分
※広島市内には「ぴーすくる」というレンタサイクルがあります。
〒730-0036 広島県広島市中区袋町5-15 MAP