“テムズ川を見下ろすウィンザー城”をモチーフに資産家・加賀正太郎が自ら設計した別荘・庭園。安藤忠雄建築の新館も。
大山崎山荘庭園について
「アサヒビール大山崎山荘美術館」(あさひびーるおおやまざきさんそうびじゅつかん)は近代の資産家&実業家・加賀正太郎が大正時代に造営した別荘地に開かれた美術館。
イギリス・チューダー様式の山荘である本館、琅玕洞(入口のトンネル)、旧車庫、橡の木茶屋、茶室“彩月庵”、栖霞楼の6棟が国登録有形文化財。また新館の“地中館”“山手館”は建築家・安藤忠雄の設計。建物周辺は和洋折衷の池泉回遊式庭園で構成されています。
こちらもずっと気になってたけど、『聴竹居』と併せて訪れようと思っていた場所。2021年春に初めて訪れました!スタイリッシュな聴竹居も素晴らしかったけど、近代に財を成した方の邸宅・庭園のスケールはまた別の凄さ。圧巻!館内は撮影禁止だけど、庭園だけでも見るべき所がたくさん…。
近代に大阪府多額納税者にも名を連ね、朝ドラ「マッサン」のモデルとなった竹鶴政孝のパトロンとして“ニッカウヰスキー”の創業にも参画した加賀正太郎。
氏の別荘として、かつて羽柴秀吉と明智光秀が相まみえた“天下分け目の天王山”の中腹に1912年(大正元年)より造営開始。本館は大正時代に一度完成した後にも増築され、現在の姿となったのは1932年(昭和7年)。
1954年に加賀正太郎が亡くなられ、1967年には加賀家の手を離れた大山崎山荘。幾つか所有者が変わり徐々に老朽化が進んだ中で、平成の始めには取り壊してマンションとして開発される計画が持ち上がります。
そこに地域住民の保存運動や京都府・大山崎町といった自治体の要請により、アサヒビールの下で山荘の修復と美術館としての保存活用がされることに。
アサヒビールとの縁についても。加賀正太郎はガンを患った晩年、同じ大阪出身の実業家でアサヒビールの初代社長・山本爲三郎へニッカウヰスキーの株を売却。なので“ただ単純に大企業がお金を出してくれた”のではなく、そこには数十年前の人の縁があった。
元の建築に加え、安藤忠雄の設計による新館“地中館”(地中の宝石箱)が加わり1996年に美術館として開館。現在美術館で展示されている美術品は山本爲三郎の収集したコレクションが中心で、クロード・モネ『睡蓮』をはじめとする近代の洋画や棟方志功、河井寛次郎、芹沢銈介といった山本と親しかった国内のアーティストの作品を所蔵/展示。
建築や美術品も素晴らしいのだけれど、庭園も計5,500坪という広さをほこります。この大山崎山荘の特筆すべき点は、建築・庭園を加賀正太郎自身が設計していること。海外留学が今ほど一般的でない時代にヨーロッパに滞在した氏が、イギリスのモダンな文化・様式を反映させる為に直接の陣頭指揮を取る形となりました。そのモチーフは“テムズ川を見下ろすウィンザー城”。
広大な庭園の一角にひっそり建つ正円の穴の開いた岩、その先の風景はきっと加賀正太郎の理想的な景観なんだろう。(公式HPにもパンフにも特段解説は無いけど…)
庭園は大まかに分けると、“美術館(本館)の内と外”。
まず美術館の内庭(1・8~13枚目)。洋館のバルコニーから眺める日本庭園で、写真だと感じづらいのですが山側から複数の滝がとくとくと落ち続けている豪快さがある。そして庭園の石組の上には茶室“彩月案”が建ちます(非公開)。現在は飛び石の上は歩けないけど、往時はこの池泉の中を通って茶室へと向かったんだろうなーという池泉回遊式庭園。
そして本館の外にももう一つ池泉回遊式庭園があります。安藤忠雄建築の“地中館”と国登録有形文化財“橡の木茶屋”の脇から水路がはじまり、最終的には入口の近くまで流れてゆく。この水路だけじゃなく、建物へのアプローチも含めて広い庭園になっています。
なお前述の“橡の木茶屋”の見た目がすごくかっこよくて。一階部分が洋風?の造石張、その上に少しせり出すように丸太で組まれた山荘風の茶室。海外の山荘風なのに、日本の数寄屋造りや縣造っぽいエッセンスも…!これだけでも加賀正太郎のセンスが伝わる。
あと同時代の『松田屋ホテル』、『山水園』で見られる意匠の石橋がひっそりあるんですよねえ…。この規模の庭園、当時の有名造園家が参加してても不思議ではない。今後も通いたい庭園・美術館!
(2021年4月訪問。以下の情報は訪問時の情報です。最新の情報は各種公式サイトをご確認ください。)
アクセス・住所 / Locations
JR京都線 山崎駅より徒歩12分
阪急京都線 大山崎駅より徒歩14分
(踏切があるので時間には余裕を持って)
〒618-0071 京都府乙訓郡大山崎町銭原5-3 MAP