にしん御殿 小樽貴賓館(旧青山別邸)

Otaru Kihinkan (Old Aoyama Villa) Garden, Otaru, Hokkaido

人呼んで“北の美術豪邸”。ニシン漁で財を成した一家が大正時代に造営した近代和風建築、その枯山水庭園も北海道の貴重な近代日本庭園。国登録有形文化財。

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にしん御殿 小樽貴賓館(旧青山別邸)庭園について

「にしん御殿 小樽貴賓館 旧青山別邸」(にしんごてん おたるきひんかん きゅうあおやまべってい)は北海道小樽市にある大正時代の近代和風建築。「旧青山家別邸」として主屋/文庫蔵/板塀が国登録有形文化財。お屋敷から石狩湾を見下ろす枯山水庭園があるほか、牡丹、芍薬、アジサイの花が彩る前庭園があります。近年は『ゴールデンカムイ』の聖地としても話題に。
※主屋内は撮影不可。ここでは撮影可な外観、前庭と枯山水庭園の臥龍松の姿のみ紹介。

「小樽運河」を代表に、多くの洋風建築を立ち並ぶ景観を残す小樽の町。その中心部から海沿いを約5kmいった「祝津」エリアは近代〜戦前にニシン漁で栄えた漁村集落。いくつかの「鰊御殿」(にしんごてん)を残します。狭義では、網元や漁に出る漁師たちの共同居宅&漁業施設(通称:番屋)を指す鰊御殿ですが、この小樽貴賓館はニシン漁とその流通によって財を成した実業家・青山家の別荘がそのルーツ。

初代・青山留吉は山形・庄内藩の貧しい漁家の出。幕末に小舟に乗り北を目指すとこの祝津に辿り着いて以来この地でニシン漁に従事、一代にして大成功を収め、現在『北海道開拓の村』に移築された『旧青山家漁家住宅』や、地元・山形の遊佐町に『旧青山本邸』(国指定重要文化財)などの屋敷を構えました。

そんな青山家の二代目・青山政吉と三代目・青山政恵(とその夫・民治)によって1917年(大正6年)から6年以上の歳月をかけ建てられたのが現在の「旧青山別邸」。青山本邸から程近い山形・酒田の“東北三大地主”『本間邸』に何度も招かれていた政恵はその建築に魅せられ、「本間邸に負けないものを」という想いでこの別邸は築かれました。

北前船で結ばれた酒田から欅、檜、杉の良材など銘木を大量に運び、酒田から宮大工・斎藤子之助、石垣清治郎、土門市太郎らを招き、総勢50名の職人、現代に換算して30億円もの工費をかけ“贅を尽くした”豪邸。
屋内は撮影禁止ですが、和の意匠だけでなく洋室や洋風の意匠の浴室なども見所!また岸駒ら京都でも活躍した画家の作品や、川合玉堂の弟子・山内多門らの作品、山岡鉄舟の書なども展示されています。

主屋の三方に庭園がありますが、中でもお屋敷の主庭園は敷地東部に配された枯山水庭園。左右二つのマツをシンボルツリーとして、白砂を敷き、一面の白砂の中に飛び石を配し、借景に石狩湾をのぞむ美しい枯山水庭園。石工頭として名の残る福田喜太郎、佐藤丑太郎らによる作庭?

日本造園学会北海道支部のよる「北の造園遺産」には含まれないものの、北海道に残る貴重な近代の日本庭園——その作風は独特というか——酒田の庭園はもちろん、北海道の唯一の国指定名勝『旧岩船氏庭園』とは全くタイプが異なる、どちらかと言うとその飛び石の雰囲気や中央にある平くて大きな石(礼拝石)は津軽・弘前の庭園流派“大石武学流”庭園(『瑞楽園』『金平成園』)的な雰囲気が強いのが興味深いし、カッコいい。

そのほか、写真撮影禁止エリアからは家族のためだけだったという池泉鑑賞式庭園も見られます。また前庭園の牡丹や芍薬は、施主・青山政恵が特に好きだったという花々。見頃を迎える5月下旬以降は前庭園の有料公開もあります(※牡丹の見頃は本州より1ヶ月半ほど遅い)。

併設されている4層の和風建築はレストラン/喫茶、宴会場となっており、牡丹やアジサイの広がる庭園、その先には遠く石狩湾をのぞみながらお食事をいただくことも。北海道の近代和風建築と庭園、ぜひチェックしてみて。

(2024年5月訪問。以下の情報は訪問時の情報です。最新の情報は各種公式サイトをご確認ください。)

アクセス・住所 / Locations

JR函館本線 小樽駅より5.6km(駅前にレンタサイクルあり)
JR小樽駅より路線バス「祝津3丁目」バス停下車 徒歩5分

〒047-0047 北海道小樽市祝津3丁目63 MAP

投稿者プロフィール

イトウマサトシ
イトウマサトシ
Instagram約9万フォロワーの日本庭園メディア『おにわさん』中の人。これまで足を運んで紹介した庭園の数は2,000以上。執筆・お仕事のご依頼も受け付けています!ご連絡はSNSのDMよりお願いいたします。
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