国の重要伝統的建造物群保存地区の古い町並み残る“鞆の浦”の代表的な商家/町家建築。三条実美ら京都の公卿が眺めたお庭も素敵!国指定重要文化財。
太田家住宅について
「太田家住宅」(おおたけじゅうたく)は国選定の重要伝統的建造物群保存地区『福山市鞆町』=鞆の浦を代表する歴史的建造物。江戸時代中期〜後期に掛けて築かれた商家/町家建築は別宅『朝宗亭』と合わせて10棟以上と敷地が国指定重要文化財。いくつかの中庭/坪庭が残ります。
古くから瀬戸内海の“潮待ちの港”として栄えた鞆港。その当時の面影を残す鞆港の代表的な景観の「常夜燈」からすぐの路地に面した大型商家が「太田家住宅」。
現在は名前の通り太田家の所有ですが、江戸時代に建立された際の施主は中村吉兵衛。元は大坂の漢方医だった中村家が鞆に移住したのは1655年。その4年後の1659年(万治2年)に漢方薬酒「十六味地黄 保命酒」の製造・販売を開始すると大ヒット。福山藩内で御用名酒屋となり販売独占権も獲得し財を成しました。
しかし明治維新を経て専売権を失い衰退、この邸宅も廻船業を営んでいた豪商・太田家の手に渡り現代へと至ります。港の目の前にありながら蔵が多いのも造り酒屋だった時代の面影を残す特徴。(重要文化財にも南北の「保命酒蔵」が含まれ、計6棟の蔵が重文)
また江戸時代には幕末の政変で京都から逃亡生活を送った三条実美ら七人の公卿が滞留(「七卿落ち」)。その際に保命酒を気に入り褒め称える歌も残していったとか。そんな幕末の旧跡『鞆七卿落遺跡』として広島県指定史跡にもなっています。
そんな歴史的商家/町家には4つのお庭があります。いずれも一つ一つは広くない坪庭・中庭ですが、それぞれにその時代の“瀟洒なセンス”が感じられるお庭であり、「敷地」が重要文化財となっている=実質このお庭も重要文化財級。
■東庭(6〜10枚目)
大きな塀を隔てて路地に面するお庭で、手前には勝手口も。
塀の高さと比べるとコンパクトで細長いお庭ですが、座敷からお庭を眺めると白壁が真っ白のカンバスのように、そして植栽がその中に描かれた絵画のように写されてとても美しい!また各地から運ばれてきた茶・青・赤とカラフルな庭石の配され方は「北前船」等で栄えた商家のお庭という趣きが感じられます。
■北庭(1、11〜12枚目)
広さ的には主庭園と言えそうなお庭。要素はシンプルながら、手水鉢、お庭の中央の踏分石、そしてサツキの刈り込みに隠れた奇石と一つ一つが巨大な所に当時の繁栄ぶりが感じられます。
■中庭(13〜14、17枚目)
主庭と並んで大きな中庭、白砂の中に植栽が施されている様子は先の2つのお庭と比べると「京風」な感じで——先の「鞆七卿落」の様なエピソードが影響している?また渡り廊下の形状によって「六角形の坪庭」になっている点もユニーク。
■茶庭(15〜16枚目)
主屋の中にもうけられた一畳台目の茶室の前にちょっとした茶庭があります。
路地を挟み主屋の向かいに建ち、海に面した別邸『朝宗亭』も国指定重要文化財。お店としての雰囲気を残す主屋に対してこちらは隠居場や藩主を迎えるための本陣として使用されたとか。(2024年現在は修復中。修復が終わったら改めて見学したい)
ランドスケープの重要文化財こと“国指定名勝”の『鞆の浦』観光の際には鞆の浦の最重要町家の庭も合わせて鑑賞してみて。
(2024年5月訪問。以下の情報は訪問時の情報です。最新の情報は各種公式サイトをご確認ください。)