
三河国奥殿藩主・松平家が残した書院から眺める日本庭園。“近代茶道の祖”裏千家11代・玄々斎宗室の生誕碑や、一面のチューリップやバラが美しい“花ぞの園”も。
奥殿陣屋(旧奥殿藩陣屋跡)庭園“蓬莱の庭”について
「奥殿陣屋」(おくとのじんや)は愛知県岡崎市の北部に置かれた三河国の小藩「奥殿藩」の陣屋。現在は岡崎市の公園『村積山自然公園“花園の里”』の一部として開かれ、江戸時代に建築された書院建築/往時の庭園を復元した“蓬莱の庭”/庭園を一望するお食事処『金鳳亭』等があります。また、茶道裏千家お家元の11代目・玄々斎精中宗室の生誕碑も。庭園上部には岡崎市指定史跡『奥殿藩藩主廟所』が残ります。
徳川家康が生まれ育った城下町・岡崎。その中心部(岡崎城)から10kmほど北に位置する「奥殿陣屋」。この奥殿より更に山間部に位置する「大給」を発祥とする「大給松平家」は三河国の戦国大名・松平家に代々仕え、家康の元でも様々な戦いに参戦。
そのうち、江戸幕府二代将軍・徳川秀忠の下で大坂の陣に参戦し、戦功を立てた松平真次が旗本格に。その子・松平乗次の代に1万6000石の大名格となり、江戸時代中期に奥殿に藩庁を移転します。それが奥殿陣屋の成り立ち。
明治維新・廃藩置県の後は藩庁・陣屋もすべて解体し更地(田畑)に。陣屋にあった書院は1876年(明治9年)に岡崎市内の『龍渓院』に移築されますが、昭和時代に再度この地に移築、日本庭園やお食事処『金鳳亭』等も整備され、1985年(昭和60年)に現在の公園としての『奥殿陣屋』が開園しました。
その書院〜高台部にあるお食事処『金鳳亭』の間にある日本庭園“蓬莱の庭”。こちらは江戸時代の絵図に描かれた奥殿陣屋の庭園を、絵図を元に復元したもの。
書院からの池泉庭園と、高台部の池泉庭園と二段に分かれた池泉庭園というのが一つの特徴。その間を繋ぐ水の流れや、苔、モミジ、春には山桜、初夏にはアジサイなど四季の花々を楽しめる池泉回遊式庭園。北山杉を植えていたりと若干の“京都風”を意識した植栽も。ちなみにこの陣屋の背後にのぞむ(庭園の借景となっている)村積山(通称・花ぞの山)は古代に持統天皇が命名したとも伝わる歴史のある山。
また園内には京都の茶道裏千家家元の11代目・玄々斎精中宗室の生誕碑も。後に京都の家元として活躍し“近代茶道の祖”とも呼ばれる玄々斎は奥殿藩の七代目藩主・松平乗友の子としてこの地で生を受けました。愛知県内にもゆかりの建築『南山寿荘』などを残します。園内の「資料室」ではそんな玄々斎や松平家、奥殿陣屋に関する各種資料も見ることができます。
最後に。奥殿陣屋に隣接する形で、春にはチューリップ畑、バラ園が広がる北欧式庭園『花ぞの苑』も(秋にはコスモス、冬には梅園も)。日本庭園もこちらも絵になる…!東海地方の方はぜひ足を伸ばしてみて。
(2024年4月訪問。以下の情報は訪問時の情報です。最新の情報は各種公式サイトをご確認ください。)
アクセス・住所 / Locations
JR東海道本線 岡崎駅/名鉄名古屋線 東岡崎駅より路線バス「奥殿陣屋」バス停下車 徒歩1分
名鉄豊田線 豊田市駅よりコミュニティバス「中垣内」バス停 徒歩25分
〒444-2108 愛知県岡崎市奥殿町字雑谷下10番地 MAP
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