丸亀藩主・京極高豊が造営し、現代に中根金作が修復した“近江八景”を表現した大名庭園。最古の煎茶席“観潮楼”も。
中津万象園について
「中津万象園」(なかづばんしょうえん)は江戸時代初期、丸亀藩主・京極家の二代目、京極高豊の別邸として作庭がはじまった池泉回遊式庭園で、香川県内・四国内でも特別名勝『栗林公園』に次ぐ規模の大名庭園です。丸亀市指定名勝。園内には丸亀美術館(絵画館)やお食事処も併設。
2021年4月に約6年ぶりに訪れました。初めて訪れた時はキックオフ前で慌てて見て出た記憶しかないんだけど、こんなに広かったっけ…!今回は時間をかけてゆっくり巡りました。なお万象園から南南東約3kmほぼ真っすぐの場所にカマタマーレ讃岐のホームスタジアム・Pikaraスタジアムがあります。
その歴史は1688年(貞享5年)京極高豊34歳の時、丸亀の城下町の郊外で瀬戸内海に浮かぶ塩飽諸島と“讃岐富士”飯野山の眺望が楽しめるこの地に別荘を造営。江戸時代が終わるまで歴代藩主に「中津別館」「中津御茶所」として利用されました。
近代の歴史は公式HPには掲載されていないけど、万象園の公式Twitterの中の人から近代には《財閥・鈴木商店さんが所有していた時期もあった》と教えていただきました。この鈴木商店、ピンと来ない人も多いと思う(というか自分がピンと来なかった)のですが、大正時代には三菱・三井をも上回る商社で…結果色々あって現存しないけど(詳しくはWikipediaで)、後継の会社は神戸製鉄にTEIJIN、昭和シェルと大企業ばかり。
その後荒廃した時期もあったもの、1982年(昭和57年)に『足立美術館』で知られる中根金作の監修で庭園修復・整備が施され開園。香川県の建設会社「富士建設」さんが所有・運営をしています。丸亀市の所有だと思い込んでた!
「公有施設の指定管理者」でもなく、いち建設会社さん・造園会社さんが所有/管理/運営されている大名庭園は他にないのではないか。(所有者の個人から派生した公益財団法人が運営されている文化財庭園の例はあれど)
庭園は京極家のルーツである近江国の“近江八景”を表現したもの。庭園の大部分を占める大きな池は琵琶湖を、そして三井晩鐘(鐘)や堅田落雁(雁)(=『浮御堂』)など八景の一文字から取られた島々がその中に浮かびます。
その八景とともに、茅葺で縣造りの現存する日本最古の煎茶室“観潮楼”(丸亀市指定文化財)や六代藩主・京極高朗ゆかりの茶室“松帆亭”や四阿“魚楽亭”といった伝統的建築が点在。観潮楼の近くの“大傘松”(千代の傘松)は樹齢約650年、日本の名松百選にも選定。
そんな歴史的な場所の一方で、朱色のシンボリックな橋“邀月橋”(ようげつばし)は昭和の修復の際に架けられたもの(元々似た太鼓橋があったのかなあ?)。また現代の目線で見ると水面すれすれを歩く水蓮橋は“映えるわー”と感じる(※本当にすれすれで落ちそうなので油断せず気をつけて)。
初めて訪れた時にはあまり“お茶”との繋がりは考えていなかったのだけど、この万象園を造営した頃、京極高豊は丸亀藩茶道頭・清水道珠を懇意にしていた(らしい)。この方の名前は検索しても万象園でしか現れないのですが…名前の印象だけだと仙台藩主・伊達家の茶道頭・清水道閑と関係がある??
そして“森羅万象”の言葉から名付けられた“万象園”の名も、幕末の長州藩士であり書家として“長州三筆”に挙げられた茶人・野村素介(野村素軒)が茶屋の扁額に書いたことに由来するとか。この方の名前は山縣有朋の初代無鄰菴こと『東行庵』で登場して以来。
茶人にも好まれた庭園だったのだなあと思うし、そんな歴史もあって近年は丸亀市のお土産品として“京極煎茶”が登場(⇒こちら)。今回は茶席はお休み中だったので次回訪れた時は母屋でお茶もいただきたいな。現在はWi-Fiが飛んでてリモートワーク利用も可という『海望亭』もあります。庭園ファンのワーケーションにもぜひ。
(あと文の流れに入れ込めなかったんだけど、地味に陶器館が『瀬戸内海歴史民俗資料館』みたいな外壁だなあと思った!)
(2015年3月、2021年4月訪問。以下の情報は訪問時の情報です。最新の情報は各種公式サイトをご確認ください。)