京都で最初の日蓮宗寺院で見られる複数の庭園。尾形光琳ゆかりの“光琳曲水の庭”に花手水も美しい“四海唱導の庭”など。
妙顕寺庭園“四海唱導の庭”“光琳曲水の庭”“五色椿と松の庭”“孟宗竹の坪庭”
「具足山 妙顕寺」(ぐそくさん みょうけんじ)は京都・洛中における日蓮宗最初の寺院で、現在も総本山『身延山久遠寺』に次ぐ“日蓮宗大本山”のお寺の一つ。境内では“四海唱導の庭”、尾形光琳にちなんだ“光琳曲水の庭”、“五色椿と松の庭”、ネスカフェのCMにも使われた“孟宗竹の坪庭”と複数の枯山水庭園を見ることができます。
2020年秋の特別拝観の終盤、約6年ぶりに拝観しました。
歴史から。鎌倉時代後期の1321年、日蓮聖人の遺命を受けてこのお寺を建立したのは孫弟子の日像上人。この日像上人は庭園があるところだと北陸の加賀前田家ゆかりの『妙成寺』を妙顕寺より以前に建立し、滋賀県には同じ“具足山”を山号とする『妙感寺』を建立しています。妙顕寺の別名“龍華”は日像上人の号?からとられたもの。
“建武の新政”でおなじみ建部元年(1334年)に後醍醐天皇の勅願寺となったものの、室町時代に足利将軍家の下では応仁の乱などもあり移転を繰り返し、現在地に辿り着いたのは1584年(天正12年)、豊臣秀吉の命によるもの。現在残る建造物の多くは江戸時代中期、1788年の天明の大火の後に再建されたもの。
また江戸時代には“琳派”の画家とも縁深かったそうで、境内には尾形光琳の顕彰碑も(尾形家の墓所は塔頭の“泉妙院”に)。特別拝観時には宝物庫で琳派の作品を鑑賞することができます。
■四海唱導の庭(龍華飛翔の庭)(1・4~7枚目)
客殿前に広がる江戸時代後期の作庭とされる枯山水庭園。白砂と勅使門、背景となっている本堂の瓦屋根の漆黒の組合せも良いし、春には枝垂桜・秋には紅葉がお見事。そして花手水も!
■孟宗竹の坪庭(8~9枚目)
作庭時期は不明なものの、妙顕寺の宝物庫に所蔵されている尾形光琳『松竹梅図』にちなんで作られたと推定されている苔と竹の緑がさわやかな坪庭。
■光琳曲水の庭(11~17枚目)
天明の大火以前には、妙顕寺には尾形光琳が設計した庭園があった――と文献に残るそう。現在書院と茶室から眺められるこの庭園は坪庭と同じく『松竹梅図』の掛け軸を元に新たに作庭されたもの(新たに、といってもマツの樹齢がそれぞれ400年・200年とあるので、大火以降すぐにできたのかな)。
白砂による曲水が特徴的――と前回思った記憶があるけど、久しぶりに(むしろほぼ初めて見るような気持ちで)見ると、書院から茶室へと延びる飛び石の園路に目が行く。円窓からの景色も。
■五色椿と松の庭(19~20枚目)
こちらも琳派の作家・酒井抱一の“観世音図”にちなんで作庭された庭園で、その名の通り冬には椿が、それ以降の季節にもアヤメ・アジサイ・ヤマユリ・キキョウ――と春から秋にかけて様々な花も楽しめる庭園。
妙顕寺は『妙蓮寺』と同様、近年特別拝観とあわせて行われている『まるごと美術館』の会場の一つにもなっています。今回も“和”がモチーフな現代アート作品も数多く展示されていました。室内で見られた枯山水は作庭ユニット“京亀”によるもの。また春、桜の季節にも訪れたい!
(2015年3月、2020年12月訪問。以下の情報は訪問時の情報です。最新の情報は各種公式サイトをご確認ください。)