妙法寺(蕪村寺)庭園

Myohoji (Busondera) Temple Garden, Marugame, Kagawa

俳人/画家・与謝蕪村が逗留した折に残した6作品が国指定重要文化財。小堀遠州作庭と伝わる“崩れ石の庭”も。

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妙法寺(蕪村寺)庭園“崩れ石の庭”について

「正因山 実相院 妙法寺」(みょうほうじ)はJR丸亀駅と丸亀城のほぼ中間点に位置する、丸亀藩・京極家の祈願寺。江戸時代の半ばに俳人/画家・与謝蕪村が滞在し、その際に複数の作品を残したことから“蕪村寺”とも呼ばれ、その時の作品が国指定重要文化財。また小堀遠州の作庭と伝わる“崩れ石の庭”があります。

2021年年始に初めて拝観。丸亀はこれまでも何度か訪れていたけれどこのお寺のことは知らず、この時も別の場所が目的で、駅のチラシコーナーで知った。中心商店街の中にこんなお寺・お庭があったのか!

奈良時代に行基によって創建された妙法寺。創建から戦国時代の頃までの数百年は現在の観音寺市の方にあり、丸亀城主・生駒親正の命で現在地に移転したのは1597年(慶長2年)。天台宗となったのは江戸時代初期の1669年(寛文9年)で、現在は京都・毘沙門堂の末寺。
塩飽大工により1934年(昭和10年)に再建された本堂内には御本尊の他にも最澄作と伝わる大黒天などが祀られています。

本堂横・客殿前に複数の蘇鉄を背後に配した池泉庭園があります。心字池を中心に置き、石が築山から自然に崩れたように配された“くずれ石の庭”
基本は座敷からの鑑賞のみですが、今回希望して庭園を歩かせていただきました。現在は座鑑式庭園ほどの規模だけれど、飛び石の感じからすれば回遊式庭園だったはず…敷地もだいぶ狭くなっているらしい(多分隣のマンションや裏の駐車場まで庭園だったのでは…)&昭和初期の本堂の再建の際に改修されている可能性もあるとのこと。

作庭と伝わるのが小堀遠州。現在の庭園に小堀遠州らしさが残っているかはなんとも言えず、小堀遠州が讃岐国に滞在したエピソードって知らないのですが(これは単純に勉強不足。昨年までは加賀国の足跡も知らなかったし)、妙法寺の住職は徳川将軍家と繋がりが深く、毎年日光東照宮への参勤に伴っていたと。 そんな妙法寺と徳川家との繋がりだったり、妙法寺も庇護した二代目藩主・京極高豊が再興した近江国の京極家の菩提寺『徳源院庭園』が伝小堀遠州作庭であることなど、繋がりはあっても不思議ではない。

小堀遠州と違い明確なのが、与謝蕪村。1766年から1768年にかけて絵の修行を目的に何度も京都から讃岐を訪れた与謝蕪村、俳人の仲間のひとり(琴平の豪商・菅暮牛)が妙法寺の檀家だった所から、当時のご住職と意気投合。丸亀を訪れた際にはこの妙法寺に逗留し、“蘇鉄図”“竹の図”“寿老人の図”“山水図(一双・三双)”“寒山拾得図”の計6点を書き残したほか、以下の俳句を残しました。

《長尻の 春をたたせて 棕梠の花》

作品は全て国指定重要文化財。前の3点は客殿に展示されており間近で(ケース等もなく)眺めることができます。写真撮影も自由というのは驚き…!江戸時代中期に蕪村が書いたソテツの姿が、この庭園に主張の強いソテツが当時からあったことを物語っています(※蕪村の当時のソテツは枯れてしまったため、現在見られるものは二代目)。

近年は殆ど公開されたことがない“寒山拾得図”のデジタル高精度複製を制作するためのクラウドファンディングも実施(現在は終了)。文化財・日本画が好きな方にはぜひ立ち寄って欲しいお寺さんです。

(2021年1月訪問。以下の情報は訪問時の情報です。最新の情報は各種公式サイトをご確認ください。)

アクセス・住所 / Locations

JR予讃線 丸亀駅より徒歩5分

〒763-0021 香川県丸亀市富屋町9 MAP

投稿者プロフィール

イトウマサトシ
イトウマサトシ
Instagram約9万フォロワーの日本庭園メディア『おにわさん』中の人。これまで足を運んで紹介した庭園の数は2,000以上。執筆・お仕事のご依頼も受け付けています!ご連絡はSNSのDMよりお願いいたします。
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