世界遺産にも含まれる紅葉の名所。約1kmに渡り楽しめる、庭師の手で造営された砂防ダム。国指定重要文化財。
紅葉谷公園/紅葉谷川庭園砂防施設/岩惣について
「紅葉谷川庭園砂防施設」(もみじだにがわていえんさぼうしせつ)は“日本三景”宮島・厳島神社の背後・弥山を流れる紅葉谷川に1950年(昭和25年)に造営された砂防ダム。
2020年冬、戦後の土木施設としては初めての国重要文化財に指定。そのほぼ全域は200種類以上のモミジが植わっている“紅葉谷公園”という名の都市公園でもあり、また『厳島神社』の世界文化遺産の登録範囲にも含まれています。
庭園の名勝指定を知るために毎回国の文化財の答申はチェックしているけど、“庭園”とつくものが名勝ではなく重要文化財(建造物)として指定されている…?ここ何…?と思って知ったのが紅葉谷川庭園砂防施設。宮島ロープウェイへ至る道すがら、通常の地図(や観光マップ)には主に“紅葉谷公園”“奥紅葉谷公園”として親しまれています。こんな場所あったのか知らんかった…2021年春に初めて訪れました。
きっかけは終戦直後、1945年9月の枕崎台風。その台風により宮島では大規模な土石流災害が発生。下流の厳島神社の周辺にもその土砂が流れ込み、その美しい景観が失われる事態に。
その3年後、1948年から国や県、GHQの後押しもあって復興事業がスタート。歴史的背景やその経緯は公式サイトの資料よりもWikipediaの方が多角的に説明されているのでそちらを見ていただくとして…戦後の混乱・復興期にあって、GHQの後押しは切っても切り離せない感じがする。
“庭園砂防施設”と名のつく通り、施工に携わったのは庭師(計画書には“庭園師”とある)。砂防ダムとしての機能を下敷きに、土石流によって流されてきた自然の岩石や自生する樹木を活かしながら、約1kmに渡る河川の5箇所・6箇所に日本庭園のような石組・石積で景観が形作られている。冒頭の写真が最も上流部の“岩石公園”。第二号堰堤では“鯉魚石”を思わせる石が配されていたり。
そしてその下流部分にあるのが、旅館“岩惣”。江戸時代末期に創業した老舗で、“砂防庭園”として整備された紅葉谷川を眼下にのぞむような形でいくつかの離れが建ちます。こちらも懸造りの離れなど、近代が感じられる“和”の意匠がたっぷり。
実際訪れてみると“大規模な、自然の中に造られた庭園”という感じがして非常に面白かったし、“庭師の技”が見られる・活かせるのは何も庭園の現場ばかりではないという発想も素晴らしいと思った。インバウンド時代の現代日本のランドスケープ、こういう発想がもっと取り入れられると嬉しいな〜〜〜。
あと今回訪れるにあたってあまりちゃんと下調べせず、紅葉谷公園の入り口だけピンを立てていて…「あれ、まだ先がありそうだぞ…?」と坂を登っていく感じになってしまい。夕方の遅い時間に岩石公園、地図でいうと“奥紅葉谷公園”のちょっと先あたりで猪の足跡を見つけて「ここで引き返そう」って気持ちになってしまったので…次回はもう少し時間に余裕を持って登りにいきたい。
(2021年4月訪問。以下の情報は訪問時の情報です。最新の情報は各種公式サイトをご確認ください。)