
近代京都の数寄者・谷川茂次郎が大正時代に開いた茶苑と吉田山頂からの眺めが絶景なカフェ。国登録有形文化財。
茂庵庭園・旧谷川茂次郎茶苑について
「茂庵」(もあん)は京都・吉田山の頂上にあるカフェ。大正時代に造られた茶室・静閑亭、田舎席、待合、そして現在カフェとなっている旧点心席が「茂庵(旧谷川茂次郎茶苑)」として国登録有形文化財。またこれらの建物を結ぶ、自然の雰囲気たっぷりの茶庭が残ります。
2019年、個人的な最も大きな出来事は東京から京都へ引越したこと。この茂庵は新居から最も近いカフェ。人気店なのでチェーン店のように気軽に訪れることは出来ていないけど…(笑)眺めが最高なので今後沢山通いたいです。
平安京が開かれた794年に桓武天皇が猟をしたことで歴史に登場する吉田山。平安時代から続く「吉田神社」が日本の神道において影響力をほこった頃には山の大半がその神苑だったそう。
一方で鎌倉時代には公家の山荘地としても用いられ、明治時代以降に吉田神社の境内が縮小された後は“吉田山荘”やこの“茂庵”のように権力者による建造物や、住宅街として開発されていきました。
※近年も『蓮月荘』という現代数寄屋建築が神楽岡通り沿いに完成。オシャレだな〜何者のお宅なんだろうな〜と思っていたら、「トラスコ中山」の保養所なんですね。(⇒参考はこちら。33MBと重いです。)あ、自分が住んでるのは築50年の古くて安い部屋です。
大正時代にこの茂庵を作った谷川茂次郎とは。1864年に京都・八瀬大原で生まれ、明治〜大正の頃に大阪で新聞用紙を扱う運輸事業を成功させました。その会社は現在も谷川運輸倉庫株式会社として残ります。
事業に成功した茂次郎は取引先の薦めで茶道をはじめ、裏千家に入門し本格的に数寄者の道へ。その後も裏千家を後援し続けたことから“今日庵の老分”(=長老)とも呼ばれたそう。
そんな茂次郎が吉田山の東部一帯を購入し開かれたのが“茂庵庭園”。現在残っている茶室は静閑亭・田舎席の2棟ですが、最盛期には8つの茶室があり、更には月見台・楼閣などもあったそう。待合に関しても現在残る2つの茶室に付随するものではなく、山頂にあった本席へ向かう前の待合。
茂次郎在命の頃には大規模な茶会が開かれていたそうですが――8室も茶室のある茶会、どんな雰囲気で人が回遊するのだろうなあ。
そんな大規模な茶苑も茂次郎の死後は数十年間閉鎖された時代もあったそう。文化遺産オンラインに記載されている所有者は“株式会社ヤマチカ”。福岡県宗像市の会社が出てくるのだけど…どういった経緯でこのようなオシャレなカフェに変貌したのかが気になる。
現在カフェになっているのは旧点心席(=元々お食事する場所)。残る建造物の中では最も大きく、大文字山側が懸造のようになっている外観がとても良い!2階のカウンター席からは吉田山の東側に位置する大文字山は見えませんが、西側・京都盆地の絶景が眺められます。昔は東側も樹高がもっと低くて大文字が見えたのかなあ。
市街地からのアクセスは決して良いとは言えないと思うのですが、茂庵へ向かって歩く人が多いなーとは引越した直後から気になって。ちなみに茂庵に至る(吉田山東側の)階段や園路からは大文字山をほぼ眼前にのぞむことが出来て最高なので、訪れる方にはその山登りも併せて楽しんで欲しいなぁ。
週末に訪れた友人は結構「待った」と言っていた。穴場と言うには既に人気店なのだけど、でも“喧騒の京都”からはだいぶ隔離されたロケーション…という意味で穴場という言葉がピッタリです。
(2019年12月訪問。以下の情報は訪問時の情報です。最新の情報は各種公式サイトをご確認ください。)