現代/昭和の日本の代表的作庭家・重森三玲が自宅に作った枯山水庭園と茶室ほか、様々な作品が堪能できる空間。
重森三玲庭園美術館について
【要予約】
「重森三玲庭園美術館」(しげもりみれいていえんびじゅつかん)は現代・昭和の日本を代表する作庭家のひとり、重森三玲の自邸だった建物と枯山水庭園と茶室。2005年より庭園美術館として公開されています。「重森三玲邸書院・茶室」として国登録有形文化財。
現在は月曜定休ほぼ毎日11時・14時の予約制公開となっています(以前は曜日限定だったので、予約可能な日が増えた!)。但し他の予定がある日は予約不可なので、予約可能日は下記の公式サイトでご確認下さい。
【2020.03追記】《建築系学生のための情報サイト LUCHTA (ルフタ)》での連載コラム『ゆるふわ庭屋一如』でも重森三玲庭園美術館について寄稿しました。重森三玲さんの経歴についても改めて。こちらよりご覧ください。
2020年の京都でのお庭初めはここ!ということで5年半ぶりに訪れました。初めて来た5年前は京都駅〜四条河原町間が行動の中心だったので、「吉田って遠いな〜」って思っていた(笑)けど、現・自宅からは徒歩10分ぐらいの近さ…!雨が降った後の晴れの日、曇りの日と立て続けに訪れました。今後も足繁く通いたい。
重森三玲がここを住居としたのは昭和18年(1943年)。近隣の吉田神社の社家であった鈴鹿家より譲り受けたもので、庭園美術館として公開されている書院(重森三玲邸書院)は寛政元年(1789年)頃、隣接する主屋は享保年間頃の建立とされている、いずれも江戸時代中期の建造物。
ちなみに主屋「招喜庵」の所有者はまた異なり、ツカキグループ代表・塚本喜左衛門氏。こないだの『ターミナルキョウト』の修繕を手掛けた会社さん(繋がるなー)。通常非公開ですがイベント等で公開されることも。
書院から眺めるその枯山水庭園は晩年、1970年に作庭されたもので、苔とふんだんに用いられた阿波の青石によって大海と蓬莱島を含む島々が表現されています。京都における代表作のうち『東福寺本坊庭園』は比較的初期の作品なので、同じく晩年の『松尾大社庭園』は作風が近いかも。
この庭園が他の重森三玲の庭園と比べてユニークな点は、目の前にある平たい大きな石。石を立てる作風の重森三玲の庭園においてはとても違和感を覚えるポイントなのですが――この石だけ元の庭園から残るものだそうで、元は神官が吉田神社を拝むための“礼拝石”だったと言われます。
また重森三玲の石庭の中でも植栽が多い(と、館長が説明されていたけど確かにそう思う)。最初に訪れた時に「昔と違って2階建ての住宅が増えているので、遮蔽する意味で高いままにしている」と話されていた記憶があって、だとしたら常緑樹中心=冬でも庭園の見た目はそんなに変わらない、と思って今回冬場に行ってみたいと思ったのもあり。
実際冬見ても「落葉してて寂しい」ということはなかったので(重森三玲の作風と北山台杉って合う!)、桜や紅葉で京都の人が多い時期に訪れるよりは人の少ない冬の間に訪れるのはオススメかも…。
そして12月〜3月中旬の間は重森三玲自身が設計した茶室「好刻庵」も内部に上がって見学できます。
『桂離宮』の茶室「松琴亭」にインスパイアされつつ波模様を表現した襖絵をはじめ、襖の取っ手や欄間や釘隠しに用いている陶器などすべて重森三玲自身の作。重森三玲の美意識を堪能できます。
その他にも親しかったイサム・ノグチの照明、親交のあった妙心寺や大徳寺孤篷庵のご住職の書などなど見所たくさん。館長・重森三明さんのご説明もその時々の質問等にあわせて異なるエピソードを色々お聞きできるので、立て続けに足を運んでもすごく楽しかった。もっと知りたい重森三玲。
好刻庵の水屋の前の中庭の石庭も三玲の作であり、非公開の茶室「無字庵」の前にも三玲作の茶庭が。本の写真を見ると無字庵の内部の意匠もかっこいいし、好刻庵も襖絵の向こうにはもう一室あるそう。
茶人としても作庭家としても当時はあくまでアウトサイダーだった重森三玲。今となっては一番人気、フォロワーも多いけれど。“ポピュラーな存在としての重森三玲”ではなく、調査というインプットを怠らず、アウトプットの時には常識に囚われない、飽くなき創作意欲に満ちた尖ったクリエイターだった重森三玲の世界観は――別に庭園のことよくわからなくても、やはりカッコイイ。若い学生さん、クリエイター、どんどん観に行ってほしいなぁ。
(2014年6月、2020年1月訪問。以下の情報は訪問時の情報です。最新の情報は各種公式サイトをご確認ください。)