
西郷隆盛/大久保利通/木戸孝允の維新三傑や三条実美/伊藤博文/山縣有朋らも好んだ老舗旅館に、近代京都の名庭師・七代目小川治兵衛が作庭した国登録文化財庭園。
松田屋ホテル庭園について
【事前電話確認推奨】
「松田屋ホテル」(まつだやほてる)は山口県山口市の中心部にある温泉地「湯田温泉」で江戸時代に創業し350年以上の歴史をほこる老舗旅館。幕末~明治維新期には三条実美/西郷隆盛/大久保利通/桂小五郎(木戸孝允)らも訪れ、そんな幕末の志士ゆかりの旧跡も残る日本庭園は2016年に国登録記念物(名勝地)の文化財庭園となりました。その作庭(改修)は近代京都を代表する作庭家・七代目小川治兵衛(植治)。
2025年に4年ぶりに訪れたので改めて紹介。由緒ある旅館、泊まるにはなかなかハードルが高いのですが、施設側の都合が問題ない時間帯(特にチェックアウト時間後〜チェックイン時間前の時間帯)は庭園のみの見学も受入れていただけます(※2025年11月時点)。事前に電話でご都合をご確認ください。
その歴史について。周防国を大内氏が治めていた室町時代に開湯された湯田温泉。その中でも最古の宿がこの松田屋(かつての名は『松田屋旅館』)で、江戸時代初期の1675年(延宝3年)の創業。特に歴史的人物が訪れたエピソードが多いのが幕末〜明治維新以降。
1863年には三条実美ら七人の公卿が一時京都を追われ長州~九州へと逃れた“七卿落ち”の際の滞在場所となったり、その後1867年には薩摩藩の西郷隆盛・大久保利通・小松帯刀、長州藩の桂小五郎・伊藤博文・広沢真臣の会合の場にも。更に坂本龍馬や高杉晋作も滞在し、当時の貴重な資料やアイテムは館内の『明治維新資料室』に展示されています。
明治維新後も長州出身の政治家とは縁が深く、庭園の池泉に面した和風建築“快活楼”(かいかつろう/石橋から見て右手側)と“群巒閣”(ぐんらんかく)はそれぞれ長州出身で内閣総理大臣をつとめた山縣有朋と伊藤博文の命名。伊藤博文の自筆による「履信居仁」という扁額は館内ロビーに掲示されています。
それらの和風建築に面して庭園が広がります。敷地の奥に大きな滝があり、そこからの水の流れがダイナミックに建物前を横切っていく庭園——。作庭(改修)を手がけたのは近代の京都を代表する庭師・七代目小川治兵衛(植治)のチーム。先述の“快活楼”の建設時(1918年(大正7年)頃)、山縣有朋が京都『無鄰菴』での繋がりから小川治兵衛をこの地に呼び寄せたそう。なお改修以前には江戸時代中期に作庭された“素朴な枯山水庭園”があったそうですが、植治によってまさに無鄰菴のような“流れ”や西洋式の芝生を取り入れた“流水回遊式庭園”へと生まれ変わりました。
庭園入口の近く(石橋や司馬遼太郎の記したアカマツ)からが最も庭園の奥行きを感じるから、そこが主なビューポイントかな…と初めて訪れた頃は思っていたのですが、上記の歴史を踏まえるとこの庭園の最大のビューポイントは快活楼からということに。尚、快活楼2階からの俯瞰した写真は下記の「文化遺産オンライン」で見られます。
七代目小川治兵衛の作庭——というだけでなく、山縣有朋が呼び寄せたという背景も考慮すると。無鄰菴の様に指示はしていないにせよ、“有朋の好み”はきっと意識されていて——無鄰菴を造営した約20年後に、植治がその成長を見せつけた庭園——なんて風にも思う。一方で異なる点も勿論あって、池泉に迫り出した和風建築の感じは植治の最初期の作品『並河靖之七宝記念館』のお庭を思い起こすし、無鄰菴より深い池に置かれた(スリリングな)沢飛び石。そして豪快な“大滝”から「アップデート」を感じさせます。また大滝は快活楼から正面ではなく、西郷・木戸・大久保会見所『南洲亭』の脇にある位置関係も気になるポイント!
そして、個人的に気になるのは足湯「桂亭」の脇の小滝にかかる、たくさんの小石による石橋(23枚目)。同じスタイルの石橋が同じく山口市内の近代日本庭園『山水園』にもある、けど他の植治のお庭ではあまり見た記憶がない。山水園の作庭は植治ではない他の「京都の庭師」さんの名前が伝わっているけれど——どこかのポイントで同じ庭師が関わったりしていたのかなあ?
…以下は妄想のテキストです。
●京都の庭園研究家・尼崎博正先生の著書『七代目小川治兵衛』の年表を見ると、植治は大正時代に山口の『鋳谷別邸』の庭園を作庭している。
●「山口 鋳谷」でググってほぼ唯一引っ掛かる特定の人物は「鋳谷正輔」という人。山口出身で造船業で活躍した実業家。⇒Wikipedia
●山水園は当初は「大正時代に造営された個人の別荘」。それが誰かはわからないけど、上に書いた石橋は大正時代に先に造られた庭園にあるもの。
●もし山水園の庭園が、植治が携わった鋳谷別邸だったら――?実際の所、山水園には別の京都の庭師さんの名前が残るけれど――
この当時は(京都では幾度と植治とタッグを組んでいる)近代京都の代表的建築家・武田五一も山口県庁舎を手掛けたりしていて、その辺の繋がりや流れも気になる所。
ちなみに駐車場側にも別の庭園があります(中には入れません)。こちらは、元々は松田屋ホテルに隣接していた旅館の庭園遺構で、こちらも実は江戸時代から残るという庭園。いつか宿泊して一晩松田屋のお庭を堪能したい――後世に残したい憧れの旅館の一つ!
(2015年9月、2016年8月、2021年7月、2025年11月訪問。以下の情報は訪問時の情報です。最新の情報は各種公式サイトをご確認ください。)
アクセス・住所 / Locations
JR山口線 湯田温泉駅より徒歩10分
JR山口線 山口駅より約2.5km(山口市内にシェアサイクルあり)
路線バス「湯田温泉通」バス停より徒歩1分
〒753-0056 山口県山口市湯田温泉3丁目6-7 MAP
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