“桂離宮”と関連の深い国指定重要文化財の傑作書院建築から眺める、“小堀遠州好み”の枯山水庭園。国指定名勝。
曼殊院書院庭園・曼殊院門跡について
「曼殊院門跡」(まんしゅいんもんぜき)は奈良時代~平安時代初期の延暦年間に最澄が比叡山に開き、1,200年以上の歴史を持つ寺院。大書院(本堂)、小書院・茶室、庫裏が国指定重要文化財であるほか、国宝『古今和歌集』など数多くの重文を有します。そして“小堀遠州好み”とされる江戸時代初期の枯山水庭園が国指定名勝。紅葉の名所としても有名。
2020年10月に2年半ぶりに訪れたのでその時の写真を更新(※なお建物内は撮影禁止)。
門跡とつく通り、室町時代以降は皇室出身者が住職をつとめる門跡寺院となり、『青蓮院門跡』、『大原三千院』など並び天台宗五門跡の一つに数えられます。現代になって以降も現在の皇室(天皇・上皇・秋篠宮様)が行幸されたことも。
現在見られる建造物や庭園は、江戸時代初期の1656年(明暦2年)に、『桂離宮』を作った八条宮智仁親王の子・良尚法親王が入寺し、この地にお寺を移して以降に整えられたもの。
そのため重文の大書院は桂離宮の建築との類似点が見られる、数寄屋風書院造りの名建築…と言っても桂離宮は書院の中は見学できないので比較しようがないのですが。桂離宮と同じ「桂棚」や小書院の「富士の間」「黄昏の間」の曼殊院棚など豪華爛漫な意匠が各所で見られます。
その書院に面する国指定名勝の庭園も1656年に建物とあわせて作庭されたもの。“小堀遠州作庭”“小堀遠州好み”とも評されますが、年代が遠州の没後であること・また建造物が『桂離宮』に強く影響を受けているならば庭園も八条宮智仁親王・良尚法親王の意向が取り入れられているんだろう(大規模な池泉回遊式庭園と、書院から座って眺める枯山水庭園という違いこそあれ。同じ灯篭などが見られるそう)。
またそこで“小堀遠州好み”というワードが出てくるとしたら、桂離宮と同じ小堀遠州の弟子・玉淵坊が関わっているとか?(憶測)
すぐ近隣に『修学院離宮』を造営した後水尾上皇が鑑賞に訪れたことがあるという点からも、白砂の美しい枯山水だけど禅の庭ではなく“宮廷の庭園”に近しい世界観であることが感じ取れます(禅宗じゃない云々はさておき)。
鶴を表現した樹齢400年の五葉松がその優雅さを感じさせる。また春には多く植わっているキリシマツツジが花を咲かせ、秋には背後のモミジが赤く染まる紅葉の名所。その他にも複数の中庭・坪庭も楽しめます。
小書院から連なる茶室「八窓席」は“京都三名席”の一つに数えられ、事前予約の特別拝観。次回はこちらも鑑賞したい。
(2014年12月、2018年3月、2020年10月訪問。以下の情報は訪問時の情報です。最新の情報は各種公式サイトをご確認ください。)