日本100名城・山形城跡にある“擬洋風建築の傑作”の国重文の洋館と、その組合せがかっこいい枯山水庭園。
旧済生館本館(山形市郷土館)庭園について
「旧済生館本館」(きゅうさいせいかんほんかん)は明治時代に初代山形県令・三島通庸の命により山形県立病院として建設されたもので、命名は当時の太政大臣・三条実美。明治初期の擬洋風建築の傑作として国指定重要文化財になっています。現在は山形城跡の霞城公園内に移築され「山形市郷土館」として公開。その洋館もですが、中庭の枯山水庭園が気になって――何度か目の山形旅行で初めてこちらにも行きました!
この木造3・4階建の楼閣建築は1878年と明治の初期に完成したもので、設計は後の館長である筒井明俊。現在地に移築されたのは昭和の中頃。その近代的な建築にも惹かれますが、その回廊と白砂の美しい枯山水庭園――という組合せがとても意外性があって良い。
この枯山水が移転前からあったもの(を再現したもの)なのか、移転後に新たに作庭されたものかは不明――そもそも現在は資料館になっているので、古い資料見れば元からあったかどうかはわかるかも。
でも病院という場にこうした枯山水は合わないかな…亀島らしきものも見えるし。死語の世界を予感させてるというか。
ちなみに建物の外にも枯池式の日本庭園(の遺構?)があります。こちらも霞城公園の案内などを見ても特にふれられておらず詳細は不明なのですが――済生館が移転する以前はこの場には日本軍の歩兵第32連隊の拠点であったり、山形財務部官舎が置かれていたそう。城郭時代からの遺構…ではなくても、近代のその頃からあるものなのかなあ…と想像。
なお、この「旧済生館本館」のある「霞城公園」は山形城跡として国指定史跡となっており、日本100名城にも選ばれています。山形城は東北の大大名だった最上家により築かれた城郭で、江戸時代には徳川家康の有力家臣・鳥居忠政や松平家が城主を務めました。
近代〜昭和年代までは都市公園、運動公園として整備されていたため城内には野球場や武道館があり(あと博物館なども)、市街地側にある東大手門や本丸にかかる大手橋は平成年代に復元されたもの。春には山形市内の桜の名所に!
(2019年5月訪問。以下の情報は訪問時の情報です。最新の情報は各種公式サイトをご確認ください。)