三木町長を務めた政治家/実業家・小河秀太郎が明治時代に造営した近代別荘建築と国登録名勝&兵庫県指定文化財(名勝)の庭園。
旧小河家別邸/旧小河氏庭園について
「旧小河家別邸」(きゅうおがわけべってい)は明治時代〜大正時代に兵庫県三木町長や郡会議員などを歴任、三木銀行などを設立した政治家/実業家・小河秀太郎が近代に建築した別荘。
その庭園が『旧小河氏庭園』として国の登録記念物(名勝地関係)及び兵庫県指定文化財(名勝)、『旧小河家住宅』として主屋/離れ/表門/庭門/裏門/女中部屋/番人小屋/外塀/庭塀/納戸/土蔵の11棟が国登録有形文化財。
時々書くことだけど、新旧タイプ問わず色々な庭園を紹介していますが、なるべく“文化財になっている庭園”を優先的に見たいな…という気持ちがある。国登録名勝&兵庫県指定名勝のこの庭園もずっと足を運びたいと思っていた庭園、2022年5月にようやく初めて訪れました!
そして(登録だけど)国の文化財庭園の格に相応しい素晴らしい庭園で――。三木市ってのが兵庫県を観光する時に頭に浮かぶ街ではなかったのだけれど、これはぜひ足を運んで欲しい。
(*兵庫旅行で積極的に行く街ではないだけで、神戸三宮駅や明石駅からバス一本で行けるし、神戸鉄道・三木駅から徒歩7分と近い。アクセスは良い方。あと三木市はレトロな街並みもある!)
施主の小河秀太郎について。幕末に三木の米穀肥料商の家に生まれた後、少年期に島根の浜田藩の藩士に家に養子に。17歳の時には長州戦争にも従軍。明治維新・廃藩置県の後に郷里の三木にも戻ると造り酒屋を開業し成功を収めました。
その後は実業家&政治家として地元・三木を支えた小河秀太郎、客人を招くための別荘として明治時代の後半、正確な年代は不明だそうですが、1903年(明治36年)頃から造営がはじまったのがこの“旧小河家別邸”。約2,200平方メートルの広大な敷地に前述の通りの多くの建築に、前庭・主庭・中庭・裏庭・側庭の5つの庭園があります。
重厚な表門を入ると緩やかな傾斜の石畳(延段)を石積と植栽で彩っています(前庭)。表門を入ってすぐある“番人小屋”は現在は喫茶コーナーとして活用されています。
メインの建築は主屋と離れ。かつて加古川沿いの交通の要衝として良質な木材や職人が集った“國包”の大工により、全国から取り寄せられた銘木を巧みに活かした近代和風建築。主座敷は数寄屋風…というか中華風?の意匠も。
1929年(昭和4年)には『東京都庭園美術館』が有名な皇族・朝香宮鳩彦王の宿泊所となり、上段の間はその際に改築されたもの。戸袋の絵も豪華絢爛。
“主庭”はその主座敷の縁側から見下ろす池泉の構造と奥行きが特徴的。座敷の脇から流れ出る水流が緩やかな傾斜をつたって中央の池泉に流れ落ちる池泉回遊式庭園。
建物の前の平たいエリアは他の近代の実業家の邸宅の庭園などのように“茶庭”のような雰囲気があるのだけど、池の周囲を歩くと様子は一変。起伏ある園路、奇石・巨石を含む庭石による渓谷みたいな石組など、すごく迫力ある庭園。あまり近いタイプの庭園が思い浮かばないけど、強いてあげれば淡路島の『旧益習館庭園』とかなのかなあ…。阿波(淡路島〜徳島)の庭園っぽい。
3つ目の庭園が主屋と離れの間に石灯籠や飛び石を配した“中庭”、主屋の沿いを進んでいくと“側庭”“裏庭”があります。それぞれ変わった石造物や銘石揃いで――お屋敷も素晴らしいけど文化財としては庭園が県指定になっていることも納得。
入場は“無料”となっていますが、主屋の玄関には庭園維持のための募金箱も。日本庭園を後世に残すためにもぜひお気持ちを。喫茶コーナーも格安なのでオススメ!
(2022年5月訪問。以下の情報は訪問時の情報です。最新の情報は各種公式サイトをご確認ください。)