幕末の江戸幕府で老中を務めた間部詮勝が自ら造園に携わり、開園から150年を経過した都市公園の日本庭園。
嚮陽庭園(西山公園)について
“めがねのまち”で有名な福井県鯖江市で初めて下車しました。現在は鯖江=眼鏡といった印象が強いけれど、江戸時代には幕府の老中も務めた間部詮勝などを輩出した鯖江藩の中心地。
「西山公園」は鯖江の中心街から程近くにある都市公園であり、江戸時代末期に7代目藩主を務めていた間部詮勝の命により、詮勝本人もすきやくわを持って丘陵を切り開いて造園された庭園『嚮陽渓』がその始まりとされます。日本の歴史公園100選にも選ばれ、詮勝本人による記念碑が鯖江市の記念物に指定。
西山公園に改称したのは大正時代。近年で江戸時代に開かれてから150周年を迎え、この150年の間に規模も大拡張され現在は動物園や芝生広場、展望台に道の駅、そして5万株もあるツツジ園なども公園内にありますが、ここでは西山公園内の日本庭園「嚮陽庭園」(きょうようていえん)を紹介。
公園内の北東部、西山公園駅からは比較的近い高台にある、間部公ゆかりの“嚮陽苑”を再現したという日本庭園。上段・中段・下段と幾つか分かれていて――中段がどの辺だったかよくわからなかったけど、まず下段にあるのが「北庭」。菖蒲園と藤棚が見所で――3月に訪れた時期は全く見頃ではなかったけど、5〜6月はきれいなんだろう。
そして上段に築山からの渓流が特徴的な池泉回遊式庭園があります。高台からの鯖江市街の風景が印象的!いずれも昭和年代に作庭(復元?)されたもの。桜には早かったけど梅が咲いてきれいだった!
今回鯖江を訪れるまで、間部詮勝=幕末の老中として安政の大獄を推し進めた、少々悪役寄りの知識・イメージしかなかった。領民と一緒に山を切り開いて公園を造営した――というエピソードは初めて知ったので、ちょっと幕末の幕府での仕事ぶりの見る目も変わるなあ…。
(2019年3月訪問。以下の情報は訪問時の情報です。最新の情報は各種公式サイトをご確認ください。)