かつての日本の政治と歴史の中心が無料で通年一般公開中!鎌倉時代~明治維新までの500年間に渡って代々の天皇が住まわれた宮殿とその庭園。
京都御所について
「京都御所」(きょうとごしょ)は南北朝時代〜明治時代の初頭まで500年以上に渡り代々の天皇が居住し政務が執り行われた宮殿(内裏)。現在は宮内庁の管理施設として広く一般公開されています。
以前は同じ『京都御苑』内に立地する『京都仙洞御所』や、京都市内の郊外に位置する『桂離宮』、『修学院離宮』と同様に事前予約申込制でしたが、2016年から予約不要で通年公開が開始。しかも観覧料は無料!
その歴史について。794年、桓武天皇により平安京遷都された当時の大内裏は現在地より西の千本丸太町の交差点あたりを中心として造営されました。
以降は焼失と再建が繰り返され、現在の場所に落ち着いたのは鎌倉時代末期の1331年(元弘元年)光厳天皇の時。
東西約250m、南北約450m、面積で11万平方メートルもある広大な京都御所ですが、最初から現在のような広さだった訳ではなく。移された当初は“土御門東洞院殿”という名の仮の内裏(里内裏)の一つで、広さも現在の半分程度だったそう(それでも充分広い)。
その後、室町幕府三代目将軍・足利義満や戦国時代の織田信長/豊臣秀吉、徳川家康以降の徳川将軍家など時の権力者により徐々に拡張。
今日見られる建造物は1854年(嘉永7年)の大火で焼失した翌年1855年に再建された建築群で、その際には寛政年代(江戸時代初期)の姿を再現する形で再建されました。
明治維新を機に天皇の居住地も京都から東京の皇居へ移されますが、その後も明治天皇・大正天皇・昭和天皇の即位の礼はこの京都御所にて行われました。
多くの由緒ある建築で構成される京都御所ですが、ここでは庭園を中心に。主な庭園は大きく分けて“南庭”(紫宸殿南庭)、“御池庭”、“御内庭”の3つ。
■紫宸殿南庭(6~10枚目)
京都御所の中でも最も格式の高い宮殿が平安時代の建築様式で再建された“紫宸殿”。その前に広がる一面の白砂の中に“右近の橘”と“左近の桜”が配されているシンプルな庭が“南庭”(だんてい)。紫宸殿で執り行われる儀式のための庭。
2016年までは紫宸殿は遠目から眺めていたと記憶しているのですが、今回(2021年)訪れた時には紫宸殿の正面を通過する形で順路がもうけられていた。そしてその先の紫宸殿の裏には“清涼殿東庭”が見られました。なお現代の清涼殿の復原は工学博士・大森健二さんが担当。
■御池庭(1・14~16枚目)
江戸時代に将軍や大名と対面する場として用いられた“小御所”と、それに並んで建つ“御学問所”から正面に眺められる池泉回遊式庭園。(*中を歩くことは出来ません)
作庭は江戸時代初期にはじまり、建物の手前側には洲浜を配して『平城京跡東院庭園』、『平城京左京三条二坊宮跡庭園』以来の日本の王朝庭園の雰囲気と、複数の石橋を架けて江戸時代の“大名庭園”らしいスケールを併せ持った庭園。
■御内庭(17~23枚目)
御所の中で天皇が日常生活を送る場だった“御常御殿”の前に広がるのが、遣水を流した曲水庭園“御内庭”。
権力の誇示の為のスケールが求められた“御池庭”と比べるとこちらは生活に近い“安らぎの庭”といった趣き。こちらも中を歩くことはできませんが、小川の先には“錦台”“泉殿”という茶室?の姿が。そして飛び石の姿を追っていくと、庭門の先の“御涼所”の前まで庭園は続きます。その先にはどんな庭があるんだろうなあ。いつか見てみたい。
庭園を中心に書きましたが、実際歩いてみると“大きな一つの庭園”といった感覚になる京都御所。建築のスケールの大きさや、時折眺める東山の眺望(あとは空!)という空間全てが特別!
また例年春には《京都御所 宮廷文化の紹介》という企画展示があり、“諸大夫の間”や“御学問所”の原在照、狩野永岳、岸岱の襖絵や御学問所の儀式の再現展示を鑑賞することができました。ぜひそのイベントもチェックしてみて。
(2014年7月、2016年10月、2021年4月、2023年1月訪問。以下の情報は訪問時の情報です。最新の情報は各種公式サイトをご確認ください。)