秋には紅葉ライトアップも!近年人気の滋賀/京都近郊の紅葉の名所…聖徳太子が開いたと伝わる古刹の、大名茶人・小堀遠州作庭と伝わる文化財庭園。
教林坊庭園について
【春と秋に期間限定公開】
「教林坊」(きょうりんぼう)は滋賀県近江八幡市・安土にある聖徳太子に開かれたと伝わる古寺院。近年は滋賀県内&京都近郊の“紅葉の名所”として有名になり、秋には紅葉ライトアップ等も行われています。
その庭園は大名茶人・小堀遠州による作庭と伝わり近江八幡市の指定文化財(近江八幡市指定名勝/旧・安土町指定名勝)となっています。例年、春期は土・日・祝日、秋には期間限定で公開。詳細の公開日は公式サイトをご確認ください。
これまで何度か訪れているので、紅葉前/紅葉後/ライトアップの写真を交えて紹介。
尚、2023年には国登録文化財の近江商人屋敷を活用/再生した『教林坊別院』の公開も始まりました(国の文化財の庭園もあります!)。両者をつなぐ公共交通機関はありませんが、距離としては約3km。自家用車の方やレンタサイクル等で行動される方はぜひ併せてどうぞ。
最寄り駅はJR安土駅。駅から琵琶湖側へ向かうと織田信長の築城した名城の跡『安土城跡』(国の特別史跡)がありますが、この教林坊は駅からは南東部、繖山(きぬがさやま)の麓に位置します。
その歴史について。飛鳥時代の605年(推古天皇13年)の創建と伝わる古刹で、この繖山の中腹に聖徳太子が開いた『観音正寺』の塔頭寺院の一つとして教林坊も開かれました。教林坊の御本尊は本堂の中に安置されているのではなく、本堂の脇(円窓の先)にある石窟の中に聖徳太子が作ったと伝わる石仏“赤川観音”。また、庭園の上部にある巨大な自然石は、聖徳太子が説法したと伝わる“太子の説法岩”で、《林の中で説法した》事が寺名の由来にも。
室町~戦国時代にはこの繖山に近江の守護大名・佐々木六角氏が居城『観音寺城』を構えます(城趾が国指定史跡)が、1568年(永禄11年)六角義賢・義治父子が織田信長との「観音寺城の戦い」で敗れて開城~敗走する際の騒乱によって教林坊の伽藍も焼失の被害に。
しかし桃山時代に入って1585年(天正13年)に再興。茅葺きの書院・庫裏はその後の江戸時代に再建されたもので、近江八幡市の有形文化財に指定されています(江戸時代後期に再建された表門も同じく市の文化財)。
庭園は頭上を無数のモミジに囲まれた回遊式庭園。
順路で言うと終盤にあるのが、桃山時代(慶長年間)にその時代を代表する大名茶人・小堀遠州(出身がは近江国・長浜)により作庭されたと伝わる池泉庭園“遠州庭園”。書院(建物)の中から、書院窓越しに眺める“掛け軸庭園”としても人気。
先述の“太子の説法岩”を含む自然に形成された巨石と自然の斜面を築山として活かしながら、その中に滝石組や吉兆を表す鶴・亀と言ったモチーフを反映。また説法岩と同じくひときわ大きな長方形の石は、聖徳太子の生前のエピソードに出てくる“カエル”に見立てられています。石に付着した苔が歴史の奥行きを感じさせる!
順路で言うと遠州庭園の手前、本堂周辺の飛び石主体の空間は更に古く、室町時代末期に作庭されたと伝わる“普陀落の庭”。平時には苔むした緑に癒やされ、晩秋には真っ赤な“敷紅葉”が味わえます。
昭和の作家・白洲正子さんは複数回この教林坊に訪れたそうで、自らの著書で『かくれ里 石の寺』で以下のように紹介しました。
ここで私の興味をひいたのは、慶長時代の石庭で/いきなり山へつづく急勾配に作ってあり/日本の造園の生い立ちといったようなものを見せられたような気がする
そんな名刹ですが、明治維新の廃仏毀釈以降、近現代に掛けては無住のお寺となる時期もあり地域から“お化けが出る”と言われる程荒れた時期もあったのだとか。近年は人気も博しつつも、「お寺の再生」は現在進行系。紅葉ライトアップ等も次代に歴史を紡いでいく為の一つのアクション。
紅葉のピークの時期ももちろん美しいですが、「人で混み合う」タイミングではなく、落ち着いて境内の姿を眺めたい方は「青もみじの季節や、紅葉が進みすぎる前」に訪れるのもオススメ!
※追記。東近江地域にはこの寺院も含め『聖徳太子ゆかりの寺社』がたくさんあります。「聖徳太子=奈良」のイメージで「聖徳太子って近江にゆかりがあったの?」という方はきっと多いと思いますので、興味がある方は下記のサイトがオススメです!
>> 聖徳太子の足跡めぐり
(2016年12月、2020年11月、2024年11月訪問。以下の情報は訪問時の情報です。最新の情報は各種公式サイトをご確認ください。)
アクセス・住所 / Locations
JR東海道本線 安土駅より約4km(駅前にレンタサイクルあり)
※公共交通機関は無い模様。安土駅前はタクシーもあり。
〒521-1331 滋賀県近江八幡市安土町石寺1145 MAP