東海道と中山道の分岐する交通の要衝に残る、現存する最大規模の本陣建築。奥には枯山水庭園も。国指定史跡。
草津宿本陣について
「草津宿本陣」(くさつじゅくほんじん)は東海道五十三次の52番目の宿場町“草津宿”の本陣。国指定史跡。また駅から東海道へ向かった時、入口に立つ東海道・中山道の分岐点にある石造道標も江戸時代より残るもので市指定文化財。草津宿の町並みは何度か訪れたことがあったけどこの本陣に入場したことがなく。2020年冬に初めて訪れました。
首都圏に住んでいると草津といえば温泉(別の草津)。近畿圏に住んでいても「京都・大阪へ通勤する人のベッドタウン」という印象が強そうですが、東海道と中山道が合流した草津宿は東海道の宿場町の中でも最大規模の交通の要衝でした。街道を歩いているとこの辺はまだゴロゴロ古い文化財の町家・商家があるので楽しい。
現在は観光施設・ミュージアムとして公開されている草津宿本陣。現在の姿は江戸時代末期、1846年(弘化3年)頃に整備されたもので、日本各地に現存する宿場町の本陣としては最大規模のもの。廊下の広さはそれも納得。主要部は江戸時代中期に膳所藩の瓦の浜御殿より移築されたもの。
この本陣を営んでいた田中七左衛門家は木材問屋(材木商)であり、通称は“木屋本陣”と呼ばれたそう。
建物の奥に枯山水庭園が残ります。庭園としては目立つものではないけれど、庭園を眺められる屋内にある上段の間や向上段の間の格天井、違い棚や欄間、あとは生花などさまざまな意匠が楽しい。向上段の間には京都の儒学者・皆川淇園の書も。皆川淇園ゆかりの庭園といえば『有斐斎弘道館』。
また当時の来訪者・宿泊者の記録が残る「大福帳」や「関札」も展示されており、その中には数多くの藩主や有名人物の名があります。松平家、毛利家、シーボルト、土方歳三、皇女和宮さま、明治天皇、そして江戸城での切りつけが起こる直前に吉良上野介義央と赤穂藩主・浅野長矩がともに草津宿に宿泊していたこともわかります。
草津宿は現在もレトロな飲食店も点在。いつもと違う途中下車にも!
(2020年1月訪問。以下の情報は訪問時の情報です。最新の情報は各種公式サイトをご確認ください。)