淀城主・永井尚政により再興された、道元の開いた日本最初の曹洞宗寺院。庭園と参道が京都府指定名勝。
興聖寺庭園および琴坂について
「興聖寺」(こうしょうじ)は鎌倉時代の1233年に宋から帰国後の道元禅師が開いた日本で最初の曹洞宗の禅宗寺院。正式名称は“仏徳山観音導利院興聖宝林禅寺”。その庭園と参道“琴坂”が京都府指定名勝となっています。宇治十二景。
2020年6月、約2年ぶりに拝観!前回は受付の案内が特になく、本堂前庭の枯山水庭園を回遊したのみでしたが今回訪れたら受付と順路が明示されていて、初めて書院裏の池泉庭園も鑑賞。
興聖寺は当初は京都市の南部、伏見深草の地に創建。その後道元は比叡山から弾圧を受けて京都を追われ越前国へ移り、道元の去った興聖寺は割と早い段階で荒廃。なおその道元が越前国で開いたのが曹洞宗の大本山『永平寺』であり、京と越前の間の道中で出会い改名したのが、国指定名勝庭園のある滋賀の『興聖寺』(旧秀隣寺)。
時は流れ江戸時代初期の1648-1649年頃に淀藩主・永井尚政によって宇治のこの地に興聖寺が再興されました。
法堂(本堂)には伏見城の“血天井”の遺構が用いられていたり、茶人であった永井尚政の意向が境内には取り入れられたり、茶室が3つあったり、建立後も資金面での援助をしていた…などなど、庭園に関する情報はあまりないけど庭園に関してもこの永井尚政の意向がだいぶ取り入れられていたんだろう。
前庭にはその永井尚政が整備した宇治川の塔の島にかつて配されていた十三重塔が移されています。これは鎌倉時代に奈良西大寺の層・叡尊によって建立されたもので、現存する日本最大最古の石塔と言われます。現在塔の島に建つのは明治時代に再建された二代目。
法堂の奥には大書院“天竺堂”は1912年(明治45年)に建立され、1919年(大正8年)にこの地に移築されたもの。当時の貞明皇后も行啓されました。ということは書院庭園は近代に作庭されたものなのかな。斜面を活かした池泉鑑賞式庭園で、石組だけでなく足元の苔も美しい!その他にも境内には道元禅師のまつられた“老梅庵”などがあります。
最後に。名勝指定には参道の“琴坂”も含まれています。春には桜の名所、秋には紅葉の名所になるそう。むしろ今回も坂だけ見て引き返す人も居たぐらい…。宇治の奥座敷、のような寺院。庭園鑑賞もぜひ!
(2018年3月、2020年6月訪問。以下の情報は訪問時の情報です。最新の情報は各種公式サイトをご確認ください。)