
“函館の奥座敷”湯の川温泉から程近くの、北海道唯一の国指定文化財庭園。明治時代から作庭が始まった和洋折衷の近代日本庭園は京都の庭師・辻地月も関与。
香雪園(旧岩船氏庭園)/見晴公園について
「香雪園」(こうせつえん)は函館市の都市公園『見晴公園』内にある日本庭園/風景式庭園。明治時代〜大正時代かけて作庭され、「旧岩船氏庭園」の指定名で現時点(2025年)で北海道で唯一の国指定文化財庭園(国指定名勝)。京都から招かれた庭師・辻地月が作庭に関わったとされます。
JR函館駅や函館市の中心部から東へ3〜4kmの丘の上にある見晴公園は、本州と同じくインバウンドが増加している函館においてもあまり観光化されていない、散歩で訪れる地域の方々が多いスポット。
その歴史について。函館の呉服商/素封家・岩船峯次郎が1898年(明治31年)頃からこの地に別荘の造成を開始、これに先駆けて開発が始まっていたのが、現在の見晴公園のある丘の麓に位置する“函館の奥座敷”「湯の川温泉」で、明治20年前後に開発。明治31年は湯の川まで馬車鉄道が開通した年でもあります。
現在13万平方メートルに及ぶ見晴公園ですが、その大部分が岩船家の別荘として造成されたもの。1920年(大正9年)から先述の辻地月が庭園を再整備するまで、親子三代に渡り作庭。その時代に訪れた京都・浄土宗大本山『知恩院』の貫主から“雪の中に梅香る園”として香雪園と命名。
昭和時代に入り、1927年(昭和2年)に岩船家が市民/地域への還元の為に一般開放を開始、公衆トイレや芝生広場を拡張。戦後、1959年(昭和34年)に函館市が取得し都市公園『見晴公園』となりました。
最も“日本庭園”的なエリアは園内中央の茅葺屋根の書院建築『園亭』を中心とした池泉鑑賞式庭園がそうなのですが、国指定文化財『香雪園』はこのエリアだけではなく『見晴公園』の大部分が実はそう。「香雪園」バス停から近くの「緑のセンター」は現代に整備されたインフォメーションセンターですが、その付近にある『旧管理人住宅』『温室』は明治時代の近代建築。
それに隣接する芝庭も、緩やかな斜面に刈り込み、その中に配された大きな庭石(景石)という作風からしても和洋折衷な近代の和風庭園。青森・弘前の事を後述しますが、弘前で言えば『藤田記念庭園』の様な和洋折衷な庭園が「香雪園」。
『園亭』前の池泉庭園もその水路は高台部の流れから始まっている。渓谷の様なエリア(『渓流庭園部』とゾーニングされています)〜京都・嵯峨/嵐山の様な幽玄な雰囲気の苔むした杉並木・アカマツ並木の空間を経て『園亭』へと至ります。自然の斜面を築山として活かし、中央に滝石組、そして周囲にモミジを多く植栽した京都の寺院風の庭園。でもその庭石は道南で採出される石材が用いられているそうで、“京風”だけど雰囲気はまた独特な感じ(尚、樹木は本州から運ばれたものが当初多かったのだとか)。『園亭』の内部の意匠もとてもカッコいい!
興味深いのは「辻地月」という京都の庭師。京都の庭園では名前が出てこない人物だけれど、青森・弘前の国登録有形文化財の旧邸『旧高谷家別邸』(現在は非公開)の庭園を手がけた庭師としても名前が残る。
この旧高谷家は青森の近代洋風建築を複数残している堀江佐吉の子・堀江弥助による建築。「洋風建築文化」「和洋折衷の邸宅・庭園」という点で、函館は弘前と人的交流が深かったのだろうか。尚この庭園以外にも「弘前のお庭と似ているなぁ」と感じた庭園が函館にあったので後日紹介。(もっとも香雪園のどのエリアを辻地月が担当した…かはまでは分からないので、具体的にその作風を感じられる場所と特定は出来ないけれど)
ちなみに先述の杉並木・アカマツ並木にはエゾリスも棲んでおり、その撮影会やリスを探す地域の子供の姿も。香雪園は函館市内の紅葉の名所として親しまれており、例年秋(10月中旬〜11月初旬)には紅葉ライトアップも開催されています。函館観光の際は見晴公園にも訪れてみて。
(2014年7月、2017年9月、2025年5月訪問。以下の情報は訪問時の情報です。最新の情報は各種公式サイトをご確認ください。)
アクセス・住所 / Locations
JR函館駅より路面電車「湯の川」電停下車 徒歩25〜30分(約2km)
JR函館駅より路線バス「香雪園」バス停下車すぐ、その他「香雪団地」「滝沢町」からも徒歩圏内
〒042-0956 北海道函館市見晴町56 MAP
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