高山寺 石水院・遺香庵庭園

Kosanji Temple Sekisuiin & Ikoan Garden, Kyoto

京都の世界遺産寺院に残る鎌倉時代の国宝建築と、七代目小川治兵衛作庭による通常非公開の茶庭。鳥獣戯画も有名。

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高山寺 石水院・遺香庵庭園について

世界遺産『古都京都の文化財』にも登録されている、京都の洛北・高雄にある「栂尾山 高山寺」(とがのおさん こうさんじ/こうざんじ)。奈良時代の774年(宝亀5年)に光仁天皇の勅願により創建された寺院で、鎌倉時代の建築である「石水院」のほか、「鳥獣人物戯画」はじめ所有する多くの絵画等が国宝となっています。
また、通常非公開の茶室“遺香庵”の庭園は七代目小川治兵衛(植治)によって昭和初期に作庭されたもので京都市指定名勝。2019年11月の遺香庵庭園の特別公開+それ以外の季節に訪れた写真を紹介します。

774年に創建された後、鎌倉時代の1206年(建永元年)に後鳥羽上皇が帰依していた明恵上人がその寺域を賜り再興、寺名も“高山寺”に改められました。
鎌倉時代には南宋から帰国した栄西が明恵上人にお茶の実を渡し、高山寺でお茶の栽培しはじめたことから日本の“お茶の発祥の地“とも言われます。境内には《日本最古之茶園》の碑が。

“鳥獣戯画”でおなじみ鳥獣人物戯画のお寺として、(原本は京都国立博物館に預けられているので)その写しを見られたりそのグッズを買うことも。その他にも国宝『明恵上人樹上坐禅像』や国指定重要文化財の『木彫りの狗児』などなどを見ることができます。所蔵している国文化財は沢山あるので公式サイトをご覧ください。ここではお庭に関連するものだけ…。

■石水院
バス停や駐車場から最も近い、階段を登ったところにある建造物。鎌倉時代、明恵上人が過ごしていた頃から残る唯一の建築で寝殿風の造り。元は後鳥羽上皇の御学問所だったと言われます。当初は現在の金堂近くにあったそうですが、天災により明治時代中頃に現在地に移築。

建物の西側?には苔むしたお庭が広がり、建物の南側に回り込むと眼の前にもみじと山々の開放的な風景が広がります。あと有名なのは手をあわせた“善財童子”(ぜんざいどうじ)さんなのですが、SNSとかではめっちゃ上がっているけど、本来は堂内撮影禁止なのでここでは掲載を控えます(撮ってもいない)。

■遺香庵庭園(*通常非公開・13〜19枚目)
2019年11月の特別公開ではじめて拝観しました(2019年は5月にも特別公開があった様子)。1931年(昭和6年)、七代目小川治兵衛(植治)による作庭の露地庭で、茶室は数寄屋大工・木村清兵衛によって手がけられました。

明恵上人700年遠忌に際し、お茶の発祥地であるこの地に茶室をという趣旨で、近代を代表する茶人・高橋箒庵をはじめ全国の茶道家100人の支援によって建立されたもの。庭園内(石水院玄関前の岩壁による高台)にある梵鐘には当時寄付した方の名前が刻まれているのですが、自分が撮った写真でわかる範囲で…堂本印象『慶沢園』住友吉左衛門、『碧雲荘』の野村徳七『根津美術館』根津嘉一郎『茂庵』谷川茂次郎、『畠山記念館』の畠山一清、倉敷『大原美術館』大原孫三郎、他にも近代に財をなしたパトロンがずらり!
なんか、財界のえらい人も政治家のえらい人もカルチャーのえらい人も“お茶を通じて繋がってる”というか、「こういう時代があったんだなあ〜」と思う。

広い境内の上部には、桃山時代〜江戸時代に建立され同じ世界遺産寺院『仁和寺』から移築された「金堂」や「開山堂」なども建ちます。金堂へ向かう道すがらからの山々の風景も素晴らしい。境内は紅葉の名所としても知られます。今もきっと青もみじがきれいなはずなので、訪れたいな…。

(2019年11月、2020年2月・4月訪問。以下の情報は訪問時の情報です。最新の情報は各種公式サイトをご確認ください。)

アクセス・住所 / Locations

JR京都駅・二条駅・円町駅より路線バス「栂ノ尾」バス停下車すぐ

〒616-8295 京都府京都市右京区梅ケ畑栂尾町8 MAP

投稿者プロフィール

イトウマサトシ
イトウマサトシ
Instagram約9万フォロワーの日本庭園メディア『おにわさん』中の人。これまで足を運んで紹介した庭園の数は2,000以上。執筆・お仕事のご依頼も受け付けています!ご連絡はSNSのDMよりお願いいたします。
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