くろ谷 金戒光明寺庭園

Kurodani Konkai-Komyoji Temple Garden, Kyoto

平家物語にも登場する熊谷直実ゆかりの池泉を中心とした回遊式庭園“紫雲の庭”と、中根金作作庭の露地庭。

庭園フォトギャラリーGarden Photo Gallery

くろ谷 金戒光明寺庭園について

【通常非公開・特別公開期間あり】
「金戒光明寺」(こんかいこうみょうじ)は浄土宗の大本山寺院の一つで、地元では“くろ谷さん”の通称で知られます。池泉回遊式庭園『紫雲の庭』は例年秋に特別公開されており、2019年は11月初旬〜12月8日(日)まで公開中。同期間内には庭園ライトアップも。2019年の秋に初めて訪れました!

地元ではくろ谷さんで知られる――と書いたものの自分は京都民ではないので知らなかった。なんで“くろ谷”なんだろう?って話から。法然上人は10代前半で比叡山延暦寺に入り、18歳の時には比叡山の深くにある黒谷という場所で叡空に師事し修行生活を送りました。
その後時を経て1175年。浄土宗を開くことを決めた法然は比叡山を降り、比叡山黒谷の所領だったこの京都・岡崎〜白川の地に草庵を結びました。これが現在の金戒光明寺。800年以上に渡る土地名の名前でもあり、法然を黒谷上人と呼称していたこともあったとか。

なおその後法然は東山に移り新たに草庵を結び。それを起源として後に浄土宗の総本山『知恩院』が建立されています(…この辺はかなりデフォルメして言っているので正確に言うとその草庵=知恩院ではないのですが。ざっくり言うとそんな感じというぐらいで、正確な情報は調べていただけると幸い)。

そんな京都の東部にある浄土宗の総本山『知恩院』と大本山『金戒光明寺』のもう一つの共通点。徳川家康は京都の支配も盤石にするために、二条城を建立した以外に『知恩院』とこの『金戒光明寺』を“城構え”という作りに整備したそう。知恩院もくろ谷も境内がとても広く兵が数多く滞留できるうえ、高台にあることから軍勢の動きも監視できると言った点から選ばれたのだとか。現在も山門を抜け本堂の前まで来ると京都市街が一望できます。
更に幕末には会津藩主・松平容保が京都守護としてこの金戒光明寺に本陣を構え、新選組もこの地で誕生しました。

そんな大寺院でしたが、昭和初期に火災で本堂の御影堂、そして方丈を焼失。現在の建築は昭和前期に再建されたもので、御影堂、大方丈、唐門、そして築地塀が国登録有形文化財となっています。また大きな山門はそれより古く江戸時代後期、1860年の建立で京都府指定文化財、また三重塔は国指定重要文化財。運慶の作と伝わる中山文殊という仏像も。

大方丈の裏にある回遊式庭園“紫雲の庭”の作庭を手掛けたのは『南禅寺』『無鄰菴』といった南禅寺界隈の庭園をはじめ、『智積院』などの国名勝庭園の管理も手掛けている植彌加藤造園さん。比較的近年、2006年と2012年に完成した庭園ですが、庭園の中心にある池泉“鎧之池”は、源平合戦の一ノ谷の戦いで少年だった平敦盛を討った熊谷直実が鎧を洗った――といったエピソードから名がついたとされる歴史ある池泉。
ちなみに熊谷直実は後に高野山で平敦盛を供養、出家して法然に仕えています。

鎧之池を奥に進み、四阿の前に作られた園路・延段は“御縁の道”という名がついており、お笑い芸人の麒麟・川島明さんもTV番組の企画で作庭に参加されています。ちなみにこのご縁の道も“紫雲の庭”も法然上人の人生や教えが表現されているそう。また庭園を一周した最後にある茶室『紫雲亭』の周囲の露地庭の作庭を手掛けたのは『足立美術館』庭園で知られる中根金作。そうだったのか…!パンフレットに書いてなかったら知らなかった…。

広い庭園は景色が開けた枯山水庭園から始まり、四阿の周辺では自然に囲まれた環境も味わえて。様々な植物の姿を見られたので秋以外の新緑の季節とかにも訪れてみたい…!(もしその時期に特別公開があったりしたら、ですが…。)そして来年はより紅葉が進んだ時期に足を運びたい。

(2019年11月訪問。以下の情報は訪問時の情報です。最新の情報は各種公式サイトをご確認ください。)

アクセス・住所 / Locations

京都市営地下鉄東西線 東山駅or蹴上駅より徒歩20分強
最寄バス停は「岡崎道」バス停 徒歩6分

〒606-8331 京都府京都市左京区黒谷町121 MAP

投稿者プロフィール

イトウマサトシ
イトウマサトシ
Instagram約9万フォロワーの日本庭園メディア『おにわさん』中の人。これまで足を運んで紹介した庭園の数は1,900以上。執筆・お仕事のご依頼も受け付けています!ご連絡はSNSのDMよりお願いいたします。
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