昭和の京都の代表的作庭家・重森三玲の代表作の一つ。三国志の英雄・諸葛孔明の“八陣法”をモチーフとした斬新なデザインのモダン枯山水庭園。国指定名勝。
岸和田城庭園“八陣の庭”について
「岸和田城庭園 八陣の庭」(きしわだじょうていえん はちじんのにわ)は戦国時代〜桃山時代には織田信長や豊臣秀吉が紀州征伐の際に入城した城郭『岸和田城』に、昭和の京都を代表する作庭家・重森三玲が作庭した石庭。続日本100名城。重森三玲の作品の中でも最も“現代アート”感の漂うモダンな庭園で、2014年に戦後に作られた庭園として初めて国指定文化財(国指定名勝)に選定。
2023年初春に再訪したのでその時の写真を追加して紹介。
テレビ大阪「ごきげんさんぽ」のコラムでも紹介しております。あわせてご覧ください。
>> 【大阪庭園めぐり!】モダンな枯山水!「岸和田城庭園 八陣の庭」|テレビ大阪 ごきげんさんぽ
その歴史について。正確な築城時期ははっきりとは分かっていないものの、南北朝時代に楠木正成の一族・和田高家により築かれたと伝わる岸和田城。戦国時代には和泉国守護・細川氏や阿波国から中央に進出した三好長慶などの三好氏(その家臣の松浦宇治)、そして冒頭に挙げた織田信長など有力武将が岸和田城に入城。
現在まで見られる城構えが整えられ始めたのは桃山時代、1585年(天正13年)に豊臣秀吉が叔父・小出秀政(初代岸和田藩主)を入城させて以降。秀吉は岸和田を拠点として紀州の根来衆・雑賀衆・粉河衆の一揆を治め(紀州征伐)、後に天守閣の造営をはじめとして城下町が整備。
江戸時代に入ると小出氏、松平氏を挟んで1640年(寛永17年)に(現)静岡県岡部町が発祥の武将・岡部宣勝が入城。以降13代、約230年に渡り岡部家が岸和田城主をつとめました。
その当時は5層の天守閣をほこったとされる岸和田城。残念ながら江戸時代後期の1827年(文政10年)に落雷で焼失。現在博物館/資料館として利用されている天守閣は1954年(昭和29年)に再建されたもの。しかしながら大きな石垣や堀は当時のままで、城跡が大阪府指定文化財(大阪府指定史跡)。
往時の本丸の中心、天守閣の前に広がる石庭が重森三玲による『八陣の庭』。天守の再建とほぼ時を同じくして1953年(昭和28年)に作庭されたこの庭園、おそらく重森三玲の庭園を初めて見る人からしたら「これが日本庭園?」と思ってしまうような、魔法陣を描いたような直線的なデザインが唯一無二の特徴的な点!
なお氏の庭園としては『東福寺方丈庭園』に次いで国の文化財に指定されたことや、唯一城郭に造った庭園という規模からも代表作の一つ。
この独創的なデザインのモチーフとなったのは『三国志』で有名な諸葛孔明の《八陣法》。中央の“大将”を中心に、石組で表現した天陣・地陣・竜神・虎陣・風陣・雲陣・鳥陣・蛇陣の“八陣”が360度に配され、その周囲を回遊しながら(天守閣を背景につつ)変わる庭園の姿を楽しむことができます。
そして文化財としての決め手の一つにもなっているのが「天守閣最上階からの垂直の視点/俯瞰の眺望を意図してデザインされていること」。天守閣は“昭和の新しいコンクリート造”といった印象を受けがちだけれど、この庭園にとっては天守閣もセットで欠かせない存在!
重森三玲はこの庭園を作庭した同年には現『重森三玲庭園美術館』の無字庵を手掛けています。
また関西国際空港から最も近い国指定名勝の日本庭園でもある。この庭園の古写真を見ると、現在で言う現代アートのような“創作生花展”が催された際の写真なんかも。きっとこの庭園には現代でも斬新なアート作品が似合う。海外から訪れるアート好きに出会ってほしい枯山水庭園!
(2014年9月、2017年2月、2019年8月、2023年2月訪問。以下の情報は訪問時の情報です。最新の情報は各種公式サイトをご確認ください。)
アクセス・住所 / Locations
南海本線 岸和田駅より徒歩15分弱
南海本線 蛸地蔵駅より徒歩6分
岸和田駅より周遊バス「市役所前」バス停下車 徒歩4分
〒596-0073 大阪府岸和田市岸城町9-1 MAP