近松寺庭園「舞鶴園」

Kinsho-ji Temple Garden, Karatsu, Saga

豊臣秀吉の朝鮮出兵にお供した“落語の始祖”曽呂利新左衛門作庭の枯山水庭園“舞鶴園”。名護屋城から移築の山門/石造物や近松門左衛門ゆかりのスポットも。

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近松寺庭園について

「瑞鳳山 近松寺」(きんしょうじ)は佐賀県唐津市にある臨済宗南禅寺派の禅寺。江戸時代には唐津藩主の菩提寺となったほか「浄瑠璃」の作家として有名な近松門左衛門の墓所(遺髪塚)が残るゆかりの寺院。さらに、豊臣秀吉に仕えた“御伽衆”の一人で“落語の始祖”とも言われる曽呂利新左衛門が作庭と伝わる庭園「舞鶴園」があります。
2025年、久々に訪れたのでその写真を追加して紹介。

近代日本を代表する建築家・辰野金吾の出身地で氏の残したレトロな洋風建築も点在する唐津は、江戸時代には代々譜代大名の入った唐津藩の城下町。JR唐津駅からも程近くにある近松寺は江戸時代には歴代の藩主に信仰された由緒ある寺院。

その歴史について。創建は古く鎌倉時代の1302年(乾元元年)。歴史的なイベントで言えば「元寇」よりは後。
その後、何度かの荒廃(焼失)と再興を経て、初代唐津藩主・寺沢広高により現在の場所に再建されたのは桃山時代の1598年(文禄2年)のこと。以来歴代の藩主に信仰されますが、中でも手厚く保護したのが江戸時代後期〜幕末まで藩主をつとめた小笠原氏。菩提寺として藩主の墓所が残るほか、以前は『小笠原記念館』という藩主の記念品の展示館がありました(閉館)。ちなみに小笠原家ゆかりのものだけでなく、唐津ゆかりの偉人、高橋是清(元首相)や前述の辰野金吾に関する展示もあったとか…。

そして冒頭に書いた通り近松門左衛門ゆかりの寺院でもある…のですが、ここでは近松寺の庭園「舞鶴園」の作者として名前が伝わる曽呂利新左衛門を主に紹介。

桃山時代に近松寺が再興された背景の一つが、その時代(豊臣秀吉政権下)の最も大きな出来事の一つ「朝鮮出兵」。唐津には『名護屋城』が構えられ豊臣秀吉も入城。(なお、近松寺の山門はその名護屋城から移築されたものと伝わります。だとすると桃山時代の建築?近松寺は非公開の寺宝として秀吉が名護屋城に滞在していた際に使用していた茶釜「蓮華釜」も所蔵。)

それに秀吉の側近として随行していた部下の一人が曽呂利新左衛門。羽柴秀吉の頃から秀吉に仕えた“御伽衆”の一人で、“落語の始祖”とも言われる文化人。近松寺には庭園がいくつかあるのですが、本堂奥にある庭園「舞鶴園」作庭者が曽呂利新左衛門。奥に緩やかな築山をもうけ、その手前に(京都とは異なる茶砂が特徴的な)砂を広く敷いた枯山水庭園で、そのデザインは“唐津湾の風景”を表したものだとか。
ちなみに氏は羽柴秀吉が治めた滋賀・長浜城下にも『汲月亭庭園』という古庭園を残します。

舞鶴園の脇にあるのがお茶室『拈華庵』(ねんげあん)とその露地・茶庭。こちらは藩主・小笠原家が愛用していた茶室を1928年(昭和3年)に再興したもの。同じ唐津の『旧大島邸』の中で記載しましたが、唐津は茶人・山田宗徧を祖とする宗徧流茶道がさかんで(三河時代から小笠原家が愛好)、このお茶室もそれに則られているそう。茶室と向き合う書院の前にはやはり名護屋城から移設された、秀吉ゆかりの「太閤馬盥」が。

近松寺にはその他にも本堂前にもデザインが異なる枯山水庭園、そして比較的大きな池泉鑑賞式の「築山庭園」があります。そのいずれもが(これまで訪れた二度とも)きれいに掃除もされていて、お寺さんのお庭に対する想いや愛情も伝わってくる…。唐津に残る(広い意味で)「秀吉ゆかりのお庭」、ぜひ一度拝観に訪れてみて。

(2018年10月、2025年3月訪問。以下の情報は訪問時の情報です。最新の情報は各種公式サイトをご確認ください。)

アクセス・住所 / Locations

JR唐津線・筑肥線 唐津駅より徒歩8分
唐津市内路線バス「坊主町」バス停 徒歩2分(※必ずしも唐津駅は経由しない)

〒847-0815 佐賀県唐津市西寺町511 MAP

投稿者プロフィール

イトウマサトシ
イトウマサトシ
Instagram約9万フォロワーの日本庭園メディア『おにわさん』中の人。これまで足を運んで紹介した庭園の数は2,000以上。執筆・お仕事のご依頼も受け付けています!ご連絡はSNSのDMよりお願いいたします。
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