命名は伊藤博文。京都の名庭師“植治”小川治兵衛の代表作の一つと言われる琵琶湖の借景が美しい庭園。国指定名勝。
慶雲館について
「慶雲館」(けいうんかん)は明治時代、明治天皇・皇太后の行在所(休憩所)として長浜の豪商/実業家・浅見又蔵が私財を投じて建設した迎賓館。近代京都の名作庭家・七代目小川治兵衛(植治)によって作庭され、氏の代表作の一つと言われる回遊式庭園が国指定名勝となっています。
これまで何度か訪れていますが、2020年11月に再訪したのでその時の写真を更新。直近で訪れていた2016年・2018年の時には庭園の枯池を隔てた対岸へは渡れなかった(写真を見ても結界があった)のですが、今回は渡れるようになってました。
慶雲館が建立されたのは1887年(明治20年)。この約500平方メートル2階建て総檜造り寄棟造の純和風建築は、前年の11月に明治天皇の長浜行幸が決まってから着工し、3ヶ月後の行幸当日に竣工…という突貫工事で完成。棟梁は地元の宮大工・平山久左衛門(山久)。
慶雲館の名は当時の内閣総理大臣・伊藤博文による命名。現在も2階には玉座が残り、犬養毅による書も展示されています。
建物の竣工当時は庭園はなかったそうですが、又蔵の息子・二代目浅見又蔵が京都から七代目小川治兵衛に作庭を依頼し、1912年(明治45年)に現在まで残る池泉回遊式庭園が完成しました。なおその作庭には治兵衛の息子(8代目)、の小川白楊も深く関わったとされていて、近代の長浜に活躍した“植宇”布施宇吉も作庭に参加した…と別施設の展示には記載がありました。
まずは玄関前(前庭)から見られる巨大な石灯籠や巨石の迫力。主屋と同じく平山久左衛門が手掛けた茶室“恵露庵”へ向けて主屋の前にある手水鉢もバカみたくデカい…。なお(全てではないだろうけど)植治は庭石を琵琶湖を船で運搬してきたそうなので、京都に残る小川治兵衛の庭園とも雰囲気が似ているところは多々ある。豪華な和風建築からの緩やかな芝生の斜面や主屋前の沓脱石の感じ、『白河院』に似てる。
この庭園の京都の庭園と異なる点であり、最も魅力的なところは、2階からの琵琶湖の借景・眺望。そして琵琶湖の先には比良山系・比叡山の姿まで見渡せる。かつては慶雲館のすぐ裏までが琵琶湖だったらしいので、よりダイレクトにその借景がのぞめたんだろう(今は埋め立てられた場所に建物があるので、庭の奥の植栽によってその目隠しをされている)。またかつては東には伊吹山ものぞめたそう。
当初は池に水があったそうだけど、現在枯池なのはその開発も影響してるのかな…。でも現在も視点によっては、築山からまるで琵琶湖の水が流れ込むような枯流れになっていることが伝わってきます。
浅見家の別邸・迎賓館として使われた後、昭和初期に長浜市に寄贈。一般公開が開始されたのは平成の2004年からですが、昭和の中頃から70年以上続く『長浜盆梅展』の会場として用いられるなど市民憩いの庭園施設になっています。秋には“長浜グラスアート展”(ナガハマグラスフェス)が行われ、お向かいには現存する日本最古の鉄道駅舎「長浜鉄道スクエア」の近代建築も。
その庭園の素晴らしさはもちろん、駅から徒歩5分以内!という近さも嬉しい。理想的。同じ長浜の『大通寺庭園』や米原の『青岸寺庭園』とあわせて、電車旅にオススメの庭園。
※余談。2020年に庭園へ訪れて初めて知った『一燈園』の創始者・西田天香ゆかりの坐禅石も。大通寺の門前にも西田天香にまつわる石碑があった。長浜市名誉市民第一号なので当然なのだけど、長浜では有名な人なんだな…と。
(2011年3月、2016年3月、2018年11月、2020年11月訪問。以下の情報は訪問時の情報です。最新の情報は各種公式サイトをご確認ください。)