
開園130年以上の歴史ある日野市指定名勝の文化財庭園。小田原藩主/老中・大久保忠増の夫人お手植えの古梅“寿昌梅”も残る、東京・多摩の梅の名所。
京王百草園について
「京王百草園」(けいおうもぐさえん)は東京都日野市の文化財庭園。江戸時代にこの地に建立された寺院『松連寺』の境内をルーツとし、明治時代に庭園として整備されたもので、『百草園(松連寺跡)』として日野市指定名勝となっています。現在はその名の通り京王電鉄が所有。(1957年/昭和30年〜)
京王線・百草駅から徒歩10分と程近く…と言っても多摩丘陵の急坂を登った先!にある、京王線沿線の梅と紅葉の名所・百草園。新緑の風景を紹介。
その歴史について。現在は住宅地となっている百草園駅〜百草園周辺ですが、平安時代末期〜鎌倉時代にかけては鎌倉幕府の御願寺『真慈悲寺』という大寺院があったと推定されていて、また百草園の上部には中世の山城『百草城』の城跡(痕跡)も残ります。
江戸時代に入り、1717年(享保2年)に黄檗宗の禅寺『慈岳山 松蓮寺』が建立(再興)。その再興に関わったのは小田原藩主(2代目)/老中・大久保忠増の夫人・寿昌院慈岳元長尼(父は姫路藩/山形藩/白河藩主を歴任した松平忠弘)。
江戸時代後期に発刊された『江戸名所図会』にも描かれるなど名所として人気を集めますが、明治維新後に廃寺に(廃仏毀釈の影響?)。その後、1887年(明治20年)に地元・百草出身の生糸商人/貿易小・青木角蔵が旧寺地を取得。「百草園」を命名し一般への公開を開始しました。なので公開庭園としての歴史は古い!(し、旧寺領に開かれた庭園…というのは京都の『円山公園』の様な歴史でもある)
以降近代〜昭和にかけ、徳冨蘆花/若山牧水/大田南畝/田山花袋/北村透谷ら多くの文人墨客も好んでこの庭園を訪れ、中でもこの地で失恋の歌「独り歌へる」を作った若山牧水の歌碑が現在園内に残ります。(訪れたかはわからないけれど松尾芭蕉の句碑も)
入場門から石段を登った先に現れるのが、この庭園の中心にあたる茅葺屋根の主屋「松連庵」。建築に関する説明は実は無いのですが、明治時代の開園に際して近隣から移築された旧農家…でしょうか。外観は農家を基調としつつも、広間は開放的で明るく雪見障子となっているので、近代に流行した“田舎家”風に改築されている様子がうかがえます。
松連庵の奥が心字池を中心とした池泉回遊式庭園となっています。早春には梅が咲き誇り、晩春にはショウブ(黄菖蒲)や藤棚、夏には睡蓮の花が庭園を池の周囲を彩る。この百草園に植った梅の木は約50種500本(800本とも)。中でも、松連庵の玄関前にある「寿昌梅」は松連寺を開いた寿昌院のお手植えと伝わる古木。
松連庵ともう一つある和風建築が茶室「三檪庵」(さんれきあん)。東京で昭和時代に流行した“雑木の庭”的な雰囲気を醸す百草園の中にあって、この茶室まわり(茶庭・露地)が最も「和風庭園」ぽさを感じるかも(※予約制貸し出し施設なので外観からの見学のみ)。
百草園の最高地点は標高140メートル。百草園駅から実は100メートル近く高い…!その見晴台からの眺望は、東は東京タワーや東京スカイツリー。西は箱根連山〜天気が良ければ富士山も…!
正門近くにはアジサイの姿なども。アジサイの名所『高幡不動尊』と併せて訪れてみて。
(2023年5月訪問。以下の情報は訪問時の情報です。最新の情報は各種公式サイトをご確認ください。)
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