身延山中興の祖・日朝が開いた宿坊に残る、夢窓疎石作庭と伝わる池泉庭園。本阿弥光悦筆の扁額も。
覚林坊庭園について
「行学院覚林坊」(かくりんぼう)は身延山こと日蓮宗総本山・久遠寺の塔頭寺院であり、近年は公式サイトが多言語に対応していたりと海外からの参拝客も受け入れている宿坊となっています(自分が訪れた日にも英語圏の方がいらっしゃった。取材陣も!)。こちらにある身延町指定文化財(名勝)の庭園が夢窓疎石作庭――と夢窓疎石のWikipediaに寺名が載っていたのでいつか行きたいな〜と思っていたのですが、2019年夏に初めて訪れました!
覚林坊は室町時代の中頃に身延山中興の祖と言われる日朝大上人により開かれました。日朝は41歳で身延山久遠寺のトップ(法主)となった後、身延山内での久遠寺の移転、教育体制の確立、五百にも及ぶ巻物の著述、日蓮宗寺院三十三ヶ寺の建立…など多くの功績を残す一方で、その無理が祟り61歳のときに両目を失明。しかしその数年後に克服、それ以来日朝および日朝の開いた覚林坊が「目の神様」として信仰を集めるようになったそう。
時は流れて江戸時代。4代目将軍・徳川家綱が目の病気を患い、身延から江戸へ出ていた身延山の僧が祈願したところそれが治癒。その御礼として徳川将軍家から「日朝堂」が寄進されました。現在の覚林坊の境内の高台部分に朱色の塗りが印象的なお堂が建っています。
また車はでなく参道を歩いていくと山門がありますが、そこに掲げられている扁額は本阿弥光悦。彼が芸術村を開いた京都・鷹ヶ峰と甲斐にある本遠寺を行き来していた縁からだそう。それ以外にも光悦の書を所蔵しており、こちらは身延町の文化財となっています。
そして宿坊のお座敷(お食事処)から、夢窓国師により作庭されたと伝わる庭園が眺められます。こちらは宿坊の宿泊客のみならず、身延山特産の湯葉なども味わえる「おてらんち」でも見学することが可能(あとサイトには無いけどモーニングコーヒー利用でもOKですよ、とのこと)。今回訪れたのは夏だったので緑が映える庭園だったけれど、左手奥に大きなしだれ桜の木が見られたので春にはより美しいのかも…。あとはサツキやツツジの花が咲く晩春あたりも。
んで「おにわさん」では基本的には“史実”より“そう伝わっている”という情報を重視しているのですが(その方が楽しいから)、これまでの情報には身延と夢窓疎石の関連性が無かったりする。
町の文化財になるにあたっては指定理由が書かれているはず…ということで身延町のサイト内で文献を探したところ(リンクは下部の関連リンクより)、それによると現在の池泉庭園は江戸時代の初期、1690年頃の作庭とある。この感じは江戸時代っぽいよね…と思ったけどやはりそうだった…!一方で室町時代の様式を元に――というようなことが書かれているので、“室町時代風…夢窓国師っぽいよね!”という風に広がった可能性も無くもない…?
かと言って別に“夢窓疎石関係ないのか”って言い切りたい訳ではなく。大正時代頃のお寺の記録で“夢窓国師の作と伝わる”とあったそうなので別に現代に言い始めた訳ではないし、火のないところに煙は立たない。前身として夢窓疎石が手掛けた何かがあった――ということは有り得るんじゃないかなあと。
その点で言うと座敷の目の前の心字池よりも、心字池奥のマツの下にある滝や石組が個人的には気になるなーと思って。指定理由にも“奇石”が書かれているんだけど、その辺が夢窓疎石っぽいワードではあるよね…。
その辺はプロの方の研究記録をいつか見てみたい。素敵な庭園・宿坊には変わりないのでまた訪れたい!身延駅にレンタサイクルあると便利なのにな〜と思っていて、それは無いのですが、この覚林坊には山内散策用のレンタサイクルが!海外へ向けた発信もそうだけど、身延山の宿坊内では進んだ・チャレンジングな取組をされています(内装も“和モダン”な感じを取り入れようとしていてよかった)。次回は泊まりに訪れたい!
(2019年8月訪問。以下の情報は訪問時の情報です。最新の情報は各種公式サイトをご確認ください。)
アクセス・住所 / Locations
JR身延線 身延駅より路線バス「身延山」バス停下車 徒歩約10分
JR身延駅より約5km(レンタサイクル無し。あったら丁度良い距離なのだけど…)
〒409-2524 山梨県南巨摩郡身延町身延3510 MAP